ビビる大木の「持論」に感心する


ビビる大木の「俺の持論」(テレビ朝日系、日曜日の深夜放送)でのインタビューが話題です。年間400本近くの番組に出演しているにもかかわらず、「10年間ファンレターゼロ」を自虐的に分析、それでも「肯定的に生きられる」という持論を展開したそうです。

ビビる大木が「主役でなくても、周りの人のためになる仕事をしよう」と思ったのは、番組での事故で背骨を骨折し入院したことがきっかけだったそうです。
そして、船(人気)と荷物(嫉妬)にたとえ、大きな船(人気)であれば、どれだけ荷物(嫉妬)をたくさん積んでも沈まないけれど、小さな船(人気)では、ちょっとした荷物(嫉妬)で沈んでしまう。
自分は船というより「ビート版」だけれど、荷物がないので沈まない、と言ったそうです。

なるほど、ものすごく説得力ある言葉です。
これは、どれだけお金や持ち物を持っていても欲望がそれを勝れば、全く幸せではない、ということと同じではないか、と思いました。

ビビる大木は、いまだに朝の番組は電車で出勤、何年か前までは、六畳一間に住んでいたそうです。(おそらく、結婚して引っ越したと推測)もちろん、持続するために努力しているし、「消えないためのHOW TO」を常に探っているのだとも思います。
「勘違いをしない」、これはとても難しくて、重要なことなのです。

人は慣れてくると、カンタンに「勘違い」をしてしまいます。「自分はできる」、という。
そして、自分が評価されるのは当たり前、評価されるべき、と思うようになる、そして、人を区別するようになります。「誰が自分にとって必要な人物か」を無意識に感じ取るのです。

この意識・行為は自分のクビを締めます。「ただの旅をしているおじいさん」と思っていたら、「先の副将軍水戸光圀公であらせられるぞ」というセリフが突然聞こえてくる、ということもあるのです。

国生さゆりが人気絶頂の頃(ヴァレンタインキスの頃?)、ものすごく態度が悪くて、AD(アシスタントディレクター)を怒鳴ったり、蹴とばしたりしていたそうです。何年かたって、全く仕事がなくなった時、ハッと気がついたら、そのADさんたちがアシスタントでなく、ディレクターになり、プロデューサーになっていたそうです。
国生さゆりは「自分はその時、ADさんが偉くなることが全く想像もつかなかった」、と言っていました。

つまり、落とし穴はたくさんあるってことです。

ちゃんとした仕事をする人は、人の区別をしない人です。いろいろなことにアンテナを張って、吸収する人は、素直な人です。ビビる大木は、そんなアンテナを張り、人の苦しみを感じ取れる感性を持ち合わせ、努力をする、前向きで強い人だと思いました。