「家族の名において」② ~日本との違い~



「家族の名において」、高校時代のシーンが描かれるけれど、少し日本とは違う気がしました。
日本は「ゆとり教育」真っ盛りの頃。(一番でなければダメなんですか?の頃、多分)
リー・ジェンジェンの親友になったチー・ミンユエのママなんてモーレツ教育ママとして描かれています。

あとは、中国教育ママのモーレツさを隠さない強烈な態度と教員のあからさまな優秀生徒に対する優遇的態度(ま、ドラマなので強調しているのだろうけど)
日本だったら反対に「特別扱い」が問題になるはず。
そして、出来る生徒の親は決して「前に出ない」、ゆったりとすましているはず。
民族性の違いを感じました。

そして、「一人っ子政策」がとられていた頃。(2016年に一人っ子政策が終わり、2021年に3人までOKになった)
リン・シャオの家族は、妹が生まれたことによって、パパは出世できず、母親の方は、仕事をやめなければならなかった、というセリフがありました。
一人の子どもに父母の期待を込める、背負う者も大変そうです。

このドラマを全部観終わって思うのは、中国世界での「家族(血縁)」の重要さ。
時代設定が、「コロナ前」であることもあって、病気、事故、入院すると家族・親戚が集まる、付き添う。
この時代では「完全看護」だろう?と思うのですが、そうではないらしい。

ハー・ズーチウがかなりの頻度で口にする「父に孝行する」(もちろん、血縁でもない自分を育ててくれた感謝があるからなのだけど)中国の人々に「福祉に委ねる」、という考えはないように思いました。

この「家族の名において」では、だいたいにおいて「母親」が強かった。
リン・シャオの母は、リン・ハービン父との離婚後、シンガポールで(中国人)と再婚、金持ちになって娘も生まれる。
交通事故で夫を亡くし、自身も重症になりリハビリが必要になると、置いていったリン・シャオが母と妹の面倒をみる。
リン・シャオが妹を亡くし、自分のせいだと責めた母がまた介護を無言で要求する。
「親」であることの絶対性を子に押し付けることができる、中国も「儒教の国」なのか?と韓国との共通項を感じます。

ハー・ズーチウは、「迎えに来る」と言っていた母が行方不明になって、自分を捨てたと思いながら生きてきました。
妊娠した母に中絶を要求して離婚した「生物学上の父」の登場はやっぱり「金持ち」になって息子の存在に気が付いた設定です。

中国の人の「金持ち」に対する憧れというか、「金持ち」=絶対的正義の信念を感じました。