W杯がくるとナンシー関を思い出す



日本のカタールW杯が終わりました。
サッカー好きでもなんでもないけど、クロアチア戦直後のNKH朝のニュースの終わりに苦笑をしてしまった。
アナウンサーのあのとってつけた締めくくり。
「選手の皆さん大変お疲れ様でした」
「勇気と希望をもらいました」

「勇気と希望」をなんでサッカーからもらうんだろうという疑問。
あたかも「全国民」が希望と勇気をもらったかのような雰囲気にたじろぐ。

そこで、思い出したのが、ナンシー関。

ひとつになってしまう「日本」、そこから「疎開」すると書いていた。

「頑張っている人に水をさすな!」とちょっとでも流れない「川」があると、叩かれるようになってしまったSNSの世界。

そんな世の中を鋭くついていたナンシー関。
あなたがいた頃よりももっと「負の発言」をすることが難しくなった・・・・。

長野五輪以降、大きなスポーツイベントが来ると、人は何故か心ひとつに束ねられてしまいがちなのは解っていたけど、今回のワールドカップは束が太い。結束しているヒモがきつい。凄いな。いや、別に束ねてどうしようとしているわけではないことも、時が過ぎれば驚くほどの早さでバラけることも知ってるけど。

ナンシー関が生きていたら、と思わずにはいられない、サッカー盛り上がりタイムでした。

そして、日常が戻ってくる。

たまたまテレビを見ていたら氷川きよしが歌っていました。
そういえば、氷川きよしについても書いていたなあ、と思い出し調べたら下記の件が。

異様なほど明るく素直な振る舞いは「かつての女性アイドルによくあった」それでいて歌うと正統的な歌唱力で圧倒する。
2002年4月16日:「一発屋」どころか「高打率」 氷川きよし、演歌どこまでも唐突に:朝日新聞紙面から

恐るべし「ナンシー関」
ある意味、氷川きよしを鋭く見抜いていたと言える。

類まれなる「眼力」と圧倒的文章力、ナンシー関の没後20年。
ナンシー関の前にナンシー関なし、ナンシー関の後にもナンシー関なし。