「媚びる人」は「(相手を)持ち上げる人」だ、とも言える


昔は「媚びをうるヤツ」は嫌いでした。だって自分、出来ないもん、という「嫉妬」もあったのかもと思います。歳をとるにつれて、「大したものだ」と感心するようになりました。

「媚び」というのではなく、考えようによっては「相手を持ち上げる技」なのではないか、と考えることができるようになったのです。先日書いた「職位で人を値踏みするヤツ」よりはずっといい、ではないかと。まあでも、その「(自分のために)相手を持ち上げる人」というのは、大体がその人の基準で「人によって態度を変える」という傾向があるのが常です。そうなってくると結局「イヤなヤツ」なのだけど。(なんだ同じじゃん)

というのは置いておいて、長年そんな人たちを観察していて思うのは、管理職といわれる人達は、「案外孤独」である、ってことです。皆がみんな「課長~」とか「部長~」と言って近寄って行くわけではない、ことを見てきました。

その中で、「課長~」とか「部長~」とか言ってくれることに、彼ら(悲しいかな、男性がほとんど)は単純に「うれしい」のです。用事・報告等がなければ、個人的な会話がない彼らはちょっとした話でもしてくれる人に単純に「好意」を抱くのです。

そして思うのは、そんな管理職に個人的に向かい合い、「部長~」って出来る人は「エネルギ-」がある人なのです。私が尊敬(ある意味)できるところはその「エネルギー」です。

人はやはり管理職の人達が誰と話しているか、誰と接触しているかということにアンテナを張っています。その人々の目がある中で、(管理職に)向かっていくことはなかなか出来ないものだと思うのです。人からどう見られているかを気にしない、ある意味「鈍感力」とエライ人との会話に臆することのない「自信」とそのことを楽しめる「才能」。

自分をアピールする「力」と衆人の視線をものともしない「強さ」は、今の世の中に必要な「スキル」でもあるのかと思います。
なんだかんだと言っても「人が見ていないところで努力している姿は誰かが見ている。(いつか)必ず評価される」なんていう美談はなかなか存在しないのだと思うのです。

でもできたらそのアピールはスマートであって欲しい。
学長をお見送りするのに夢中のあまり、同僚の体にぶつかっても気付かないで(気付いてもどうでもよかったのかも)「学長~」ってエレベーターに向かう姿はやはり美しいものではない、です。(これはそのぶつかった方の同僚から聞いた話)

その同僚は私の職場の親しい人ですが、とってもいい人で、笑って話してくれました。(私だったら笑って話せない)
なんだかんだ言っても、(偉い人を見送るのに夢中なあまり)人にぶつかっても謝らない人よりも、それを笑って話せる人の方がずっと好きだし、人として信用できます。
結局、私も何も変わっていないってことなのかもしれません。