「カルテット」 ~ビバ!ジャパン!~



4連休、「愛の不時着」の他に「シークレットガーデン」と「私の名前はキム・サムスン」、一人ヒョンビン祭りをしていたら、ちょっと疲れてきたので、2017年話題になったTBSドラマ「カルテット」を観てみました。

不思議なテイストのドラマでした。
日本の俳優の演技が韓国俳優より劣るとかいうやつは誰だ!?
韓国俳優がこの力を一切入れない、ゆる~い会話の応酬を果たしてできるか?という気持ちにさえなります。
松たか子、松田龍平、満島ひかり、高橋一生、彼ら俳優たちの力量のすごいこと。
会話を成り立たせないという変わったやり取りでドラマを成り立たせてゆく。

全てアドリブのような(アドリブは一切ないらしい)会話劇でもあるし、4人の群像劇でもある。
なんとも不思議な空間を紡ぎだしたことか。
誰も激高しない、誰も号泣しない、誰も命令しない、誰も誰をも非難しない。
日本的で、それがものすごく心地いい。

4人はそれぞれに、音楽家としては誰も大成していない、むしろ夢破れ、一般常識からも離脱している。
その4人が偶然を(装い)出会い、時間をともにし、少しづつ形を作ってゆく。
ゴミ出しのトラブルやら、空揚げレモン事件、好きになり告白するけど、振られる恋バナ的事象等々。

誰も「指図する」ことなく、「意見する」ことなく、個々の傷をちょっとずつ開示してゆく過程も素敵。
「受け入れる」ことが優先。
そして、4人でいることによって、個人が救われてゆく。
受けたくない仕事も4人だったらやってみることができる。
くじけそうになっても、4人だったらなんとかこなす。
100%の力を出さなくても、25%で良くって、人に乗っかる技も身につくわけです。

力むことなく続けてゆけば、誰かひとりが決断すれば、「コンサートホール」での演奏も実現する。
途中、空き缶を投げられても、席を立つ人がいても、続けてみれば、「心からの感動」で拍手さえもある。

最後まで見終わって思うのは、重ねてゆくことの大切さとやり続けてみることの必要さ。
そして、違う視点を受け入れてみることの重要性。
思い込まない、ということ。

そして、何より「結論」を出す必要がないことに、結論を出さないこと。
ドラマには何のコンクルージョンがないのです。

4人の借りていた別荘を後に、演奏会場に向かう、でも道に迷ってたどり着けない、そこで「THE END」
誰もその後がわからない、というエンディングでした。

4人のその後は彼ら次第、という作者の意図なのだと思います。
人生の「失敗」なんて誰が決めたんだ、何が「成功」っていうのか?
それは自分次第。

怒鳴りあわなくっても、説得しなくても、がっつり向かい合わなくても、やっていけるという新たな人間関係の提示、だった気がします。
なんか、少しシニカルで、ちょっとコミカルで、まあまあシリアスで、ほっとするドラマでした。
「韓ドラ」の正反対をゆくザ・ジャパン!のドラマだったと思います。