芸能界で生きてゆくすべとは?


高橋真麻が結婚したという芸能ニュースが去年の暮れにありました。

真麻の認識は、高橋英樹の娘がフジテレビにアナウンサーとして入社!というニュースが最初で、「なかなか親しみのあるお顔」という印象でした。
その後は、「とんねるずのみなさんのおかげでした」での被り物を着ての「モジモジ君」という文字を体で書くというコント?でのいじられキャラ。
効果音も入り、ボコボコにされてもけなげに頑張ってた姿です。

「高橋英樹の娘がこんなことされてもいいのか?」と思ったことを覚えています。
父公認であることを証明するかのように、高橋英樹が観ていることもありました。(フジテレビも、高橋英樹も、真麻もしたたか)
「真麻すごい!」と思いました。
お正月の放送では、他のアナウンサーが振袖を着ているところを、着ぐるみを着せられて「顔も出ないのね」と母に嘆かれたとか。

そのときの父英樹の言葉がすごいのです。
「どんな仕事でも一生懸命にやれば、また『真麻に』となる。苦労が報われる時がきっとくる」と。
流石、第一線でメディアに居続けることが出来ている人の言葉です。

本人も後に、最初はまわりにすごく気を使われていたことを感じていて、「いじられ」キャラは少しずつ確立していったと振り返っています。
自分自身も、父が大物芸能人(しかも娘を溺愛していることも有名)、父母仲睦まじい恵まれた家庭の一人っ子が、しかもフジテレビに入社、という立ち位置に「妬まれないはずがない」という思いがあったことも正直に話しています。
「顔がトリッキー」(本人の言葉)ゆえに「妬み」を回避できた、というニュアンスの発言もしています。

2世、それはそれでなかなか大変なんだなあと思いました。

そして、坂口良子の娘坂口杏里、真麻よりもずっと若くて(真麻37歳、杏里28歳)これからなのだろうけど、ちょっと痛々しいニュースが続きます。

母親の坂口良子さんが57歳という若さでなくなり、しかも離婚して再婚していたことが難しい状況を作ったのだと思います。
母亡きあとは、継父との関係はなかったことになり(プロゴルファーの尾崎建夫)兄ともそう歳は離れていないので頼るわけにもいかず、しかも恐らく、「わがまま」?
好き勝手な性格に拍車がかかり、誰も彼女をコントロールできなくなった感じです。

坂口良子になんにも似てなくて、「芸能界」というステージで何か自分のキャラを見つけないと需要がそうそうあるとは思えない。
「願えば叶う」的な乙女な感じもあり、感情の不安定感は誰がみても明らかです。
誰か、誰か「マネジメント」をしてあげて!と縁もゆかりも、一ミリのかけらもない私が言うのもなんだけど。

父母の平和的健在(仲良く健康でという意味)と金銭的余裕(お金がある)に伴う知性(学校にちゃんといけたということとそれに付随する教養)が必要だ、ということ、精神的余裕がないとあの芸能界の荒波にはなかなか勝てない、ということを高橋真麻が証明している気がします。

昔であったなら、「ハングリー精神」的な成り上がりタイプの人たちがわんさかいたのだと思うのです。
でも、今の芸能界、SNSの広がりと「倫理・法律的」なものの縛り、メディアの多様化に伴う求められているものの複雑化で簡単に「途方に暮れる」ことができるわけです。

地盤・基盤・バックボーン、これなしではなかなか大変になってきているのは間違いない、と思います。
坂口杏里は、誰か大物にくっついて、ちゃんとした「マネジメント」をしてもらうところから始めた方がいいのは間違いないでしょう。