「アンオーソドックス」~一気見間違いなし!~



ネットフリックスの「アンオーソドックス」、4話と見やすい長さで、一気見をしてしまいました。

ユダヤ教の超党派(ハシド派)といわれる宗派の中で暮らす若い女性の物語。
こんなコミュニティがニューヨークのブルックリンにあることも驚きだったけれど、自由のない相互監視の社会はさながら戦時中の「隣組」とも思えるし、ここまでではなくても似たような事象がこの21世紀でもどこでもあるとも思える。

「キム・ジヨン82年生まれ」でもそうだけど、息苦しい決まりが山のようにある社会は、決まって男子に都合の良い社会になっている。
結婚によって違った世界が広がるかもとかすかな期待を抱いていたエスティは祖母と伯母からの「結婚の圧力」を受け入れたものの、その生活は夫ヤンキーの「庇護」の元に入ることだった。

何もわからないまま結婚し、「性生活」の苦労が始まる。
夫を受け入れられないエスティは、夫から義母から攻められる。
子どもを産まない女性は離婚させられるのだ。

そして、エスティは幼いころ自分を捨てたベルリンに住む母のもとに行く。

このニューヨークとベルリンの舞台がまたシニカルな設定になっている。
ユダヤ人迫害から逃れた人々が作ったニューヨークのコミュニティから、迫害を受けた場所に降り立つエスティ。

エスティが戸惑いながらも、ベルリンの音楽院の学生たちと交わりながら、変化してゆくプロセスが絶妙でした。
ベルリンの音楽院の学生たちは多種多様な人種がいて、おそらく母は「性的マイノリティー」で、そのコントラストも秀逸でした。

湖で身体を浸し、ウィッグを外す(超党派の規律で結婚すると女性は髪を剃らなくてならない)、ジーパンを履き、口紅をさす。

エスティを追ってきた夫のヤンキーといとこのモイシュとのサスペンス的要素もあり、自分を捨てたと思っていた母との和解があり、エスティが動いたことによって起こる変化がドラマの物語の面白さです。

いとこのモイシュは放蕩を重ね、コミュニティーからはうさん臭く思われていてヤンキーも信頼はしていない。
エスティをコミュニティーに連れ戻すことで、自身の評価を上げようとやっきになる姿に一種のあわれも呼び起こします。
なによりその指示をした長老の腹黒さ、コミュニティーの恐ろしさも感じます。

つまり、そこから逃れることがどれだけ「エネルギー」を必要とするかをドラマは描いているのです。
ラストにヤンキーはエスティと向かい合います。
ヤンキーは悪い人ではなかった。
ただ「無知」で、広い世界を知ろうとはしなかった「罪」だけなのだとわかります。

一人で生きることを選ぶエスティ。
「宗教」からも「コミュニティー」からも自分の力で脱出したのです。