偉大なる女優を失った日本芸能界 ~樹木希林を悼む~


先月(9月15日)樹木希林さんが亡くなりました。

この方の特異なところは、晩年になるにつれての”評価”が高まったことでした。
もちろん、若いころからその実力は認められていたものの、どこか「色物」的な扱いだったと思うのです。
CMの「美しい人は美しく」・・・「そうでない人は?」・・・・「そうでない人は、それなりに」の話題性。
そして、有名な「ジュリ~っ」で笑いを取るようなイメージでした。

でも、地道にテレビ出演を重ね、何より(晩年という言葉が適切)映画での活躍が樹木希林の「再評価」につながりました。

売れようとか、脚光を浴びたいとか、そんな風に思ったことはなかったんだろう、と思います。
自分の好きなように、かつ相手(監督とか、プロデューサーとか)の要望を組み入れつつ、演じていたのだと思います。

ちょこちょことインターネットでインタビュー記事を読んでいると「樹木希林さんはものすごく頭のいい人だったんだ」ということがわかります。
一時期仕事をするのも生きているのも嫌になって、でも子供もいるしちゃんと暮らしていかなければならない、と家を建て、貯金もし、不動産を買い、多少のことでは困らない「資産」を築いたそうです。

死ぬ前にも自分の財産を夫である「内田裕也」が使い込まないよう、娘也哉子さんを会社の社長にして託したとか。
樹木希林と内田裕也の関係が結構美しく報道され、「あれも愛のカタチ」というようなキレイごとになっていますが(もちろん樹木希林さんの「愛」を否定はしませんが)、夫である内田裕也を最後まで「冷徹な目」で見ていたのだと思います。

それにつけても、大変だったのは娘の也哉子さん。
この方も相当賢い人だと思います。
これもどこかで読んだのですが、也哉子さんは9歳のときに1年間アメリカニューヨークでホームステイをしているのですが、それも母である希林さんが(当時は悠木千帆)勝手に決めてきて、「あなたはこれからアメリカでホームステイをするのよ」といきなり言われたとか。

子育てに「自分の身が無くなる感じがして」母である希林さんに訴えたら、「私は日々忙しすぎて、自分の不安と向きあう時間さえなかったわ」と一蹴されたとか。(この記事は朝日新聞)

恐らく、樹木希林さんのぶっ飛んだ感覚を理解しつつも、感覚の鋭い、感じやすい人なのだと思います。
選んだ(というかモックンがぞっこんだったという説)夫が本木雅弘。
彼は、大きな農家の息子さん。
平凡でいわゆる「明るく楽しい」家庭・過程で育った方なのだと思います。

自分が得られなかったフツーの家族(3人のお子様)を作り、「平凡家庭」を実現させた、そんな気がします。
希林さんの最近のロケには同行し、身の回りの世話をしていたとか。
最大の親孝行はモックンと結婚したこと、と葬儀で語ったそうですが、そうではなく、也哉子さんを授かったことではないか、と思った次第です。

いずれにしても、日本は唯一無二の女優を失ったのだと思います。
この方の代わりになる女優は、なかなかいないだろう、と感じています。