シーボルトの娘、楠本イネは元祖キャリアウーマン


寒い日が続いています。去年使わなかった「デロンギ」のオイルヒーターを先週から使い始めました。買ってから約30年たっているのですが、全く問題ありません。
丈夫ですが、欠点は電気代がとっても高くなること。もう、そんなことより、氷の中いるように冷える部屋で眠る不快さを解消することが先(端の部屋で窓に囲まれていて冷気がたっぷりと侵入する)そして自分の体が大事と使い始めました。とっても快適です。
ちょっと不快なことがあるとすぐめげてしまう、根性なしの私ですが、根性がある女性は尊敬します。

「楠本イネ」といってもなじみがないかもしれないけれど、シーボルトの娘、といわれれば「ああ」と分かる人も多いと思います。父シーボルトは、日本のオランダ商館に医者として赴任してきた人ですが、鎖国していた日本に影響を及ぼしました。医学のみならず、文化・思想にも教養があり、多くの日本人に惜しみなく知識を伝授したのです。

出島のオランダ商館は、妻でさえ女性を同伴することが出来なかったそうです。ところが、「専門の女性」を配するよう配慮があり、遊女お滝との間に生まれたのがイネです。今の私たちの感覚からすると異常な世界ですが、幕府が公認で、そのような女性を使わし、相手の外国人(シーボルト)が「くるしゅうない」と言って(想像です)堂々と子どもまで作ってしまうから(避妊の知識もさほどない頃)驚きです。

イネさんは、シーボルト父が日本から追放になった後(その時わずか2歳)、父の弟子達から医学を学び、産科術を修業していくのです。ところが、不幸なことに、その弟子の一人から無理やり犯され、妊娠。女の子を産みます。
ここら辺はイネさん自身の語ったことだそうですが、一人で産み、へその緒も自分で切ったとか。シーボルトの弟子達の援助があったとはいえ、開業もします。明治天皇の侍女のお産にも迎えられたそうです。いずれにしても、職業を持ち、一人娘のたか子をシングルマザーとして育てるのです。
父シーボルトの娘、という矜持を持ち続けたのでしょう。また父に似て賢く、強靱な意志を持っていたのだと思います。

産科の開業は、「医師国家試験」が出来、女性が受けられなかったこと、女性にも受験資格が与えられたときには57歳であきらめたことで、のちは「産婆」として生計を立てたそうです。

父シーボルトは、60歳を過ぎて再び来日します。長男を連れてきたシーボルトとイネは再会を果たすのです。その時のシーボルトの医学的な知識は既に古く、幕府とのトラブルで父は直ぐに帰国せざるを得なくなります。長男のアレクサンダーは日本に残り、英国の通訳として雇われたそうです。
その後、次男ハインリヒも来日、日本女性と結婚しました。

日本の草分け的キャリアウーマンだった楠本イネの生涯は波乱に満ちていますが、シーボルト家をはじめ、日本が世界へと繋がった架け橋的な存在にもなったと思います。このイネさんも77歳まで生きたそうです。なかなか長生きだったのではないでしょうか。

この本を読んでいる写真がステキです。知性と意志、そして「学ぶ」という姿勢、並々ならぬ決意を感じます。