日大アメフト部の問題から「リーダー」を考えた



昨日の夜の関東学生アメリカンフットボール連盟の会見で日大の元監督と元コーチが除名されました。
これで少しは騒動が収まるはずです。
日大アメフト部の選手たちからの声明も出て、「自分たちは指示された通りに動けばいいと思っていた」という一文に闇の深さを感じました。

いつもそこに私の思考が行ってしまうのだけど、『あの時の日本軍の構造』と同じだ、と。
志願という名目で実際は命令で行った「特攻隊」、「後から行くから」と言って旗を振った上官たちで、ホントに死に行った人はごくわずかだった、ということ。
戦後、もちろん罪の意識に苛まれた人もいただろうけど、大枠では、「志願した」という言い訳に始終、死なせた「罪」に問われた人はいなかったのです。
(「特攻の発案者」と言われる大西瀧次郎は自決)

300万人があの戦争で亡くなった日本。
統計では(年次統計)、1944年までは死亡数は横ばい、1945年で前の年の1.7倍に増えているのです。
つまり、何が言いたいのか、というとあの戦争を1944年で止めていれば、1945年の膨大な死亡がなかったのです。
東京対空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下・・・・
「やめる決断をする人がいなかった」という事実がここまでの被害を膨大にした原因ではないか、と思います。

日大のアメフト部の構造は根本同じではないでしょうか。
(悪しき)王様の監督、その王様の腰ぎんちゃくになって権力の片棒を担ぐコーチ。
兵隊は、命令に従ってその任期を果たすと新たな兵隊がやってくる。(太平洋戦争では除隊はできなかったけど)
延々と続く権力の構図、「やめよう」言える人がいない「腐った組織」が全く同じです。

相手に対しての配慮も皆無でした。
手をあげて投降した「敵兵の人権」を知らない者たちの行為が終戦後、現地の裁判でBC戦犯として裁かれたのは「無知」という言い訳がなりたつけれど、21世紀の「スポーツ界」においても、「何をしてもいい」(ましてや敵ではなく、対戦相手)という発想はどこから来たのだろう。

「リーダー」という役割の中で、自分がどんな立場でどんな人物でなくてはならないか、という視点がなかった。
そして、日本という国がちゃんとした「リーダーシップ」を養成する土壌がないのではないか、と思うのです。
「声が大きい人」「上に立つのが好きな人」 「上に気に入られた人」、理論でなく感情で選ばれて、その座につく。
そうではなくて、きちんとした「頭脳」があり、「公平」で「冷静」で 「的確な対処」ができる人、そんな人をリーダーに着かせるべきだと思うのです。

必要なのは、リーダーをキチンと選び、キチンと育てる「科学的な選別」と「科学的&哲学的&社会的教育」ではないか、と思います。
ただ「やりたいだけ」でリーダーにならせてはいけない、と思うのです。
あの二人に足りなかったのは、「リーダー学」という「理論」、つまりやはり知性というもの、究極言ってしまえば、「頭脳」が足りなかったのだということです。