赤頭巾ちゃん気をつけて ~「知性」を育て手放さないこと~


1969年に出版された「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読み返してみました。なんと来年で出版50年。すごいなあ。(口調が庄司薫っぽくなっている)
外的状況━安保闘争で1969年の東大受験がなくなったり、学校群が導入されたりと時代的なものはあるけれど、全く古臭くなく、むしろ「いつ読むの?今でしょ!」的な新しさがある、と思いました。

高校時代に読んで感激して、白、黒、青と続くのだけど、それも面白くて「結婚するならこんな「庄司薫君」みたいな男性」と本気で思ったのも懐かしい思いでです。
でも、今回読みかえして思ったのは、この1969年の時に、薫君がみんなをしあわせにする、という目標、社会全体が漠然とそんな思いを抱いたいたことが『まぼろし』だった、ってことなのでは、と。
本当に当時の人たちは、みんな幸せになる、と漠然と信じていた時代だったのかも、と思ったのです。

そして、薫君が「勉強」すること、「考えること」に前向きなのは、やはり自分の軸となる「知性」を手に入れようとしているからに他ならない、ということがわかりました。

知性というものは、ただ自分だけではなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにするものだということ

そして、私がとっても好きな箇所は、「日比谷高校の学年の始まり」
校庭でその年に取る科目を先生ごとに選び、好きな担任も選ぶ、という「儀式」。
先生が旗を持って立ち、生徒たちが取る科目を互いに譲ったり譲られたりしながら決め、担任を選んだ頃には、日も暮れ、フラフラになっている、という箇所です。

「日比谷高校」はかつて東大に200人もの合格者を出しているにもかかわらず年に2回しか試験がなく、オーケストラがしょっちゅう演奏をし、おかしな雑誌が作られ、芸術家と呼ばれる生徒が「芝居・映画」を論じ、しかも生徒会活動も活発、学校を上げてインチキ芝居をしている、という「日比谷高校」の図。

それは、薫君の下の学年、「学校群導入」(高校受験の試験の点数で学校を振り分ける、多分)で、あっという間に崩れたのです。
つまり、フツーの「受験校」になってしまったということなのです。
生徒会の集まりにも、「勉強があるから帰ります」という生徒がぐっと増え、試験も増え、担任を選ぶ、なんてこともできなくなった、というわけです。

そのいやったらしい「全員芝居」を振り返って

芸術にしても民主主義にしても(中略)およそこういったすべての知的フィクションは、考えてみればみんななんとなくいやったらしい芝居じみたところがあって、実はごくごく危なっかしい手品みたいなものの連続で辛うじて支えられているのかもしれない。

そしてこれだけは確かだけれど、ああいう学校はつぶすのは簡単だけれど、これをまた作ろうとしたってもう絶対に、それこそちょっとやそっとではできはしないんだよ。

薫君の学年からは、10年後の時代だけれど、私の地域の高校の中で一番の「進学校」では昼休みに誰かが自分の(今でいう)オタク的知識を披露して、誰もガツガツ参考書を読んでいない、という話を聞いたことを思い出しました。

今、必要なのはこの「知的な(フリでも)芝居をする」
「好悪」をSNSで発信する前に、「それが何故か」を自分に問う作業をしなければならないのではないか、ということです。
やはり、「感情」が「知性」を上回ってはならない、ということではないでしょうか。
大事なことは、「自分の知性を育て、知性を手放してはならない」ということ。

ぼくの知性を、どこまでも自分だけで自由にしなやかに素直に育てていきたい

戦後民主主義教育の申し子の薫君たちが必死になって「日比谷高校」でやった、インチキ芝居のような、自主性と親切心にあふれ、礼儀正しく、快活な「フリ」をして、理想の生活を目指す、そんな「大目標」が必要なのではないか、と思った次第です。