「長谷川平蔵」を考えてみた


ちょっと前、NHKEテレ「知恵の泉」で長谷川平蔵のことを取り上げていました。すごく仕事が出来る人だったようですが、上司に疎まれて出世が出来ずに生涯を終わった、という結構悲哀に満ちた人だったのを知りました。
「江戸時代」も現代と変わりがないんだなあ、と。
能力がありながらも、その才際立つために周囲から浮いてしまう、そんな人って結構いるのではないか、と思いました。
平蔵がちょっと不幸だったのは、平蔵活躍時代の老中が松平定信だったこともあったようです。
元々派手好みで遊郭に出入りをして「社会性を磨いた」平蔵にカチカチの真面目な役人だった松平定信さん、基本的に肌が合わないのは仕方がなかったのかもしれません。

話は少しそれるけど、私は太田南畝さんが詠んだという「白河の清きに魚も住みかねて 元の濁りの田沼恋しき」という句がとても好き。
これは「賄賂」で権勢をふるった田沼意次の政治を反省し、徹底した倹約を行った松平定信が厳しすぎて「こんなら田沼時代が良かったなあ」という歌なのだけど、「民」の勝手さをピタっと表していると思うのです。

いつの世も何かしらの不満を人は抱えるものなのだと思います。定信就任当時は、「田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水」、という歌がはやったそうです。
人の気持ちの移ろいやすさ、いつの時代も完璧だ、ということはないわけで、「江戸時代」でも、清くなり過ぎて不満が起こり、濁り過ぎても文句が出たのです。

ましてや、商業が台頭して江戸が潤っても、「農民ら」は天候次第で、すぐに「飢餓」に陥る不安定な立場だったと思います。
時代的にも日本全土が「幸福」になる、ということは不可能だったでしょう。
いずれにしても「田沼意次」が「越後屋ら(比喩的)と結びついて賄賂をたんまりもらっていた」ということも「?」がつき、歴史的検証がまだまだ必要だとか。

そして平蔵ですが、「寛政の改革」で「人足寄場」を作り犯罪者が定職を持ち、再犯を減らすべく尽力します。その発想の斬新さ、人間味溢れる行動、運営力と今の時代で言えば「起業家的能力」を持った人だったのではないかと思えます。

その「人足寄場」の予算増額を願い出るも、定信に却下され、幕府から預かった金を銭相場に投じ予算を作ったとか(Wikipediaより)。
江戸当時でもそれは道徳的にだめだったようです。
もちろん、今では「犯罪」ですが、その「山っけ」が周りから嫌われたのです。
自身に自信があり、「遊郭」「賭場」で磨いた「粋」も役人気質からははみ出ていたはずです。
「同調圧力」の集団である「幕臣たち」からはどうころんでも受け入れられなかったのは明らかです。

ところが平蔵は、嫌われていた松平定信に、そうとは知らず「越中殿(定信)の信頼だけが心の支え」と言っていた(Wikipediaより)そうで、案外自分の立場を正確には理解していないようなのです。
定信が「人心術」に優れていて、上に立つものとしての「才」があったことの証明でもあるのでしょうが、平蔵の「いけいけどんどんの性格」は周りの空気を見ない、という裏返しでもあるのかも知れません。

「上司と同僚」には好かれていなくても、庶民にはとっても人気があった「平蔵」。
21世紀までその人気を保ち続けられているのだもの、きっと草葉の陰で喜んでいるはずです。