つまらない話を聞かないようにするには


あっという間に「桜」が開花しました。なんか急に「春」がきてしまって戸惑います。
この前タクシーに乗ったところ、プチ右翼(個人の偏見です)のおっさんが運転手で、『桜の花は、(麻薬)の作用がある。かつての特攻隊は出陣の時に、杯の中に桜の花びらを浮かべて飲んだ』とかいう話をふられて、「へっ!?」となったのです。
いや~、私の記憶だと、一番最初の特攻隊は昭和19年の10月だったような気がするけど、桜の花びらがあったのだろうか?(塩漬けしたものを使ったとか?それはあの結婚式の時に飲む「桜湯」に入っているもの?)という疑問を挟む余地もないままに進み、しかもその出陣の際の杯には、本物のお酒が入っていたという説を語り、さすがに「水杯(みずさかずき)では?」という疑問をねじり込み、タクシーの中が「しら~」となった次第です。

日本マンセーのおじさん、誰にでもそうやって語るのだろうか?
たかだか10分くらいの時間でしたが、結構疲れました。

確かに日本人は「桜」が好きです。もちろん、私も好きです。でも、桜の下で騒ぐのは、決して桜の作用ではなく、「お酒」の作用ではないか、と思うのですが。
自説をさもさも真実のように自信満々に語ってしまう人っているのです。

タクシーの運転手さんだったら、この一時をテキトーにやり過ごせばいいけれど、身近にそんな人がいたら、それはすごーく迷惑な話です。
そんな人への対応法を考えました。

まず、決して話に乗らない。
「あなたの話に興味あり」、という態度を決してとらない。
そして、隙あらば自分の話をねじ込む。「ところで、〇〇に行ったことある?」等他愛のない話にひたすら持ってゆく。

どこかで仕入れてきた話を延々とする人も困ります。自分の感覚・感想・感情を全く話さない人の話も結構疲れます。
「自慢話」も嫌われるけど、「知識を語る」人も嫌われるのです。

わりと簡単なかわし方は、「それ本当?」という疑問符です。そのタクシーのおっちゃんも、「え~「水杯(みずさかずき)だと思ってました~」と元気よく答えたら、黙ってしまったのです。
滔々(とうとう)と語る人は「疑問符」に弱い。それでも頑張る人には、適当なところで「疑問符」を挟む。挟み続ける。
「嘘みたいな話ですね。それは本当に根拠のある話?」とストレートには言えなくても、「本当?」というすこ~し疑いのあるイントネーションで。
その人の話に自分の知識を総動員し、話のほころびをとらえる、これはまさに「撃退法」です。

究極の対症法は「近づかない」これに限ります。
私の経験で言えば、「知識自慢」はおっさんに多い。それと身近にそんな人がいて、始終「マントラ」のごとく聞かされている人。そんな人は自分も他の人に語りたくなるのかもしれません。
聞かされているストレスを他の人で発散させる、悲しいかな、人間の性(さが)でもあるのでしょう。

でも、自慢でも知識でも、その人の話がとても面白かったら、いくらでも聞くと思うのです。「つまらない」という形容詞に凝縮される「話」は罪、だということなのだと思います。