映像の世紀プレミアム(16)「オリンピック 激動の祭典」


映像の世紀プレミアム(16)「オリンピック 激動の祭典」NHKBSプレミアムで観ました。
さすがNHK、貴重な映像の数々、まさにオリンピックの歴史を観た気がしました。
金栗四三の映像、ヒトラーのベルリンオリンピック等々、でも何よりも印象的だったのは、メキシコオリンピックの「ブラックパワー・サリュート」です。

200m走で1位と3位になったトミー・スミス、ジョン・カーロスの二人がそれぞれの手に黒い手袋、足は黒いソックスを履き、国旗掲揚の間に黒い手袋をした腕を掲げる、という行為からのその後のストーリー。
2位のオーストラリア選手だったピーター・ノーマンが二人の行為に賛同し、自らも「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」のOPHR(Olympic Project for Human Right)のバッチを付けて臨んだ表彰式。

その後の3人の運命は過酷だったのです。
トミー・スミスとジョン・カーロスは閉会式に出ることも許されず、帰国後は非難と中傷にさらされ、陸上界からアメフトへ転向、その後1980年代になり陸上界にもどれたようです。

賛同したピーター・ノーマンはもっと大変な人生を送っています。
次のミュンヘンオリンピックの予選で3位の成績を残したものの、オリンピック選手には選ばれず、うつ病とアルコール摂取障害と足の怪我に苦しめられ、64歳で亡くなっています。(2006年)

ピーターが亡くなる前年の2005年、トミーとジョンの出身大学カリフォルニア州立大学サンノゼ校では二人の抗議行為を称賛、20フィートの銅像を建てました。
2位の表彰台にピーターの銅像はありません。
それはピーターの銅像が建てられることを彼自身が望まずに、「ここには誰でも立つことが出来る」、というメッセージがあるのです。

2006年にピーターは亡くなりました。
トミーとジョンとは違い、陸上界には戻れず、オーストラリアで生涯忘れられたままの存在だったようです。
トミーとジョンは葬儀に駆け付け、棺をかつぐ役を担いました。
過酷なピーターの生涯でしたが、「友情」という言葉でかたずけられない、3人の絆にほっとしました。

今、まさに「Black lives matter」のデモがアメリカの各地で行われています。
1968年から52年、変わらずにおこる「人種差別」の根深さを感じます。

その根深さの中にあるトミーとジョンとピーターの「絆」が一筋の光である、そんな気がしました。