今日は沖縄戦終結の日


今日6月23日は沖縄戦終結の日。
追悼式も今までとは違った形で行なわれたようです。
これからそういった催しものは姿を変えていかざるを得ないのでしょう。

学生最後の夏休み、立て続けに戦争映画が封切られ「ひめゆりの塔」と「大日本帝国」を観た記憶があります。
「ひめゆりの塔」は自分よりもいくつか下の高校生が戦場にかり出されたことに背筋が凍る思いで観たことを覚えています。

壮絶なシーンの連続で、簡単な感想なのだけど、「こんなことが二度とおきてはいけない」と思いました。

その後、沖縄のこと、沖縄戦のことを知るようになりました。
「ひめゆり」の悲劇の他に、沖縄の男子は徴兵される年齢には達してなくても否応なしに実戦にかり出された事実があります。(14歳の子供まで!)
法的根拠がないままに・・・
「志願」という形をとっても、「強制」だったことは想像するに難くありません。

沖縄戦の一番の特徴である「国」を守るという名のもとに住民がないがしろにされた事実。
一般市民は投降すれば、「捕虜」として扱われる。
兵士であっても戦闘が終わり、制圧されたのち、武器を捨て投降すれば殺されない。
そのことを何も知らされず、女性は強姦、男性は八つ裂き、それがアメリが軍の仕打ちだ、と教えられた日本の人々。

沖縄では、沖縄語を話したり、英語を話したりできると、スパイを疑われ、殺された人もいるそうです。
軍と住民が共に行動する中、武器を持った人たちがいいように住民を支配していた側面があったのだということです。
守られるべき住民が「日本軍」に隠れていた場所を追いやられ逃げ惑う、まさに地獄絵図の様相。

ひるがえって今の日本、やっぱり「強者」の国ではないか、と思います。
あの極限下の出来事という状況ではないものの、弱い者が一番犠牲になる、という図はこのときと全く変わっていないのではないか。
「権力を持ったおやじたち」が支配する国。
少子化対策と言えども、なんら対策に具体的効果はなく、高騰する教育費に奨学金の借金、自己責任という名の負債を抱える。
就職勝ち組は少数、東京ではリモートワークすらできない「中小企業」がほとんどで、通勤電車はすでに毎日満員、夜の飲食に従事する若者はコロナウィルスの最前線。

平和の世の中での「絶望」・・・・・

戦時下ではないけれど、弱者の声が政策には届いていない状況は変わってない気がします。

少なくとも、「強姦と八つ裂き」の教えを疑うことはできるようになりました。そして今度は「声をあげる」
社会に求めること、政治家に求めること、要求できる権利があること、それは確実なことなのです。

まずは、家庭から。
性役割の撤廃。
働く女性と男性の賃金平等。
そして、女性政治家の定数設定。
権力を振りかざすおっさんの追放からはじめたい。
話はすこしずれた?かな。