芸能人の儚さをみた


東出の不倫記事は相変わらずネット界隈を賑わせています。
東出と唐田えりかを凶弾しなければいけないかのように、芸能人のコメントが一様に厳しいのにはびっくりします。

単純なわかりやすい「悪」に対するバッシングが巨大になる図が怖い。

いえ、なんかねえ、こう「正義が吹き荒れる感じ」がゾワッとする。

芸能界なんてそれこそ、「不倫」からの結婚が結構な数あると思うのですが。

「ゲス不倫」とか言われているけれど、分かり易いごく一般的な「不倫」だった気がします。

キャリアも歳も(おそらく)収入も上の妻、子育てに忙しく、あれこれと家の中でやることも「指示」される。
自分もそこそこキャリアを積んで、仕事も順調なのに、家の中では妻に頭が上がらない。

10も年下で、自分のことを尊敬のまなざしで見つめてくれ、慕ってくれる可愛い女性が存在する。
それだけでうれしいし、楽しい。
この結婚は間違ったのではないか。
この「恋愛」(不倫)を手放したくない。
冷静な判断ができなくなるし、自分の行動が世間からどう見えるかを思考するのを停止すらする。

人は「快感」に対しての欲を捨てることがとても大変なのです。
恐らく、「不倫」は一種「麻薬」と同じな気がします。
(麻薬の)中毒に侵された人が、「逮捕」にどこかホットするのと同じで、世間からのバッシングにさらされて、どれだけのことだったのかをやっと悟っていると思います。(かといって、「不倫」は犯罪ではない)

自分が築いてきたキャリアが、全部自分の「努力」「才能」ではなかったこと、妻の夫である「イメージ」がどれだけ大きかったかをあらためて感じていると思います。

東出自身が、単純に「男の性(さが)」を持っている人だった、ということ。
「自信」を他からの称賛で得たいタイプなのだと思います。
俳優の「自分を見て」というエネルギーは、どうしたって単純な「称賛」に飛びつくのは必須です。(俳優でなくとも「称賛」フツーにうれしい)

反対に言えば、しっかりした妻(おそらく)が描いた家族設計に100%賛同し、努力するには彼が「おこちゃま」だった、ということです。
ホントだったら、まだまだ女性との恋愛を楽しむことができたのに、という「欲」がどこかにあったとしたら、「家庭」は足かせとしか思わなかったでしょう。

3年も続いたということは、かなりの「ツワモノ」で、実は東出自身が「離婚」も視野に入れていたのではないか、とも思えます。
それほど単純に自分の恋愛(不倫)を考えていたような気がします。
成功体験(自分の)が東出の「万能感」につながり、何もかも上手くいく、という「躁状態」だったのではないか、とも思うのです。

よくある「不倫の末の離婚」、一般人だったら「あっそう」で終わる話が、CM4社から打ち切られ、今後仕事のオファーすらなくなる、ということを考えたら、いかに「芸能人」が「イメージの上」に成り立っているかを、あらゆる日本人が理解した、「事例」になってしまったことが哀れです。