久々に長~い小説を読みました。
その名も「本格小説」、作者は水村美苗。
全く知らなかったのですが、2003年に読売文学賞をとった作品だったのです。
上下で1000ページ超える長編ですが、グイグイと引き込まれ、特に後編は一気読みになること請け合います。
あの有名なエミリー・ブロンテの「嵐が丘」の日本版、ということなのだそうですが、読んだことがなく比較することもできず、まっさらな状態で読めました。
時系列がちょっと変わっていて、戦後すぐ(舞台はアメリカ)から現代(この小説が書かれた2002年くらいまで)を作者(水村美苗)の視点で描き、その後突然現れた加藤祐介なる青年から持ち込まれた「ストーリー」へと移って行きます。
その祐介からこの小説の肝心な語り手冨美子へと移り、冨美子の生い立ちから時代が戻り、戦後の日本が描かれます。
物語の中心人物は「東太郎」(あずまたろう)
この物語がノンフィクションのていで進められているので、作者が太平洋戦争直後のアメリカで出会った人物として登場します。
長い序章では、謎めいた人物としてアメリカ人の富豪の専属運転手からのしあがり、億万長者になってゆくのです。
そして、その謎めいた過去を最後の語り手、土屋冨美子なる、もと女中だった女性から「東太郎」の半生が語られるのです。
この小説の面白さは、冨美子の故郷長野県の田舎が描かれ、太平洋戦争直後のアメリカ、GHQが占領した東京、復興後の東京と軽井沢、いくつもの都市が舞台になっているところです。
そして日本の高度経済成長とバブル、バブル崩壊、半世紀の日本が描かれ、古き伝統、血筋などというものが存在していた時代からその存在すらなかったかのように遠ざかるさままで、私たちに見せてくれます。
語り手が変わるたびに、時代も変わり、その視点が変わる。
その視点の交錯がこの小説を重厚なものにしているのです。
太郎、よう子、雅之、三角関係の恋愛模様も巧みながら、冨美子の語る三枝三姉妹の人間描写も深く、鋭く、面白い。
出自のわからぬ素性の怪しい「太郎」、そのことゆえに心底軽蔑していた三枝三姉妹たちとの確たるも隔たった戦後すぐの時代。
そして時は巡り、「軽井沢の別荘」が太郎に買われ、元女中の冨美子の名義になる、その皮肉な結末。
ある意味、驕り高ぶった彼らが、下から這い上がった太郎によって復讐された、そんな風にも取れるし、愛は手に入れなかったけど、実をとった冨美子の勝ち、という結末にも思えます。
時代の「大逆転」とも感じるのです。
冨美子の語ったその話に最後の最後、三姉妹の末娘冬絵がものすごく衝撃的な爆弾を祐介に落とす。
そのあまりにも下世話で、陳腐なその部分を「いらなかった」というコメントを書いていた人がいたけれど(amazonで)、それも含めて面白いと思いました。
作者の「語り手を信用するな」というブラックメッセージでもあるし、日常的教訓でもある気がしました。
力のある作家だと思います。