「ありがとう。行けません」と断る


日本人って(というひとくくりはよくないけれど)なんだかんだといっても、「同調性」の国民なので、どうしても皆と同じ行動をとることで安心するっていう構図です。「同調圧力」というものによってやりたくもないことをやったり、抜けられなくなったり、自分の行動を制限したり、不幸なメンタルになってゆくプロセスが多いような気がします。
そこからひとつ抜け出すために必要なことを考えてみました。

自分を尊重することが大事です。やはりなんと言っても「自分を大切に」すること。自分のメンタル、自分の体力、自分の健康を第一に考えること。最終的には自分が元気でないと何もできないのです。
自分がいなくても地球は回ると考えること。その仕事はあなたでなくても大丈夫。世の中のだいたいがどんな人がいなくなってもまわっていきます。
例え書きかけの小説でも、誰かがその次を考えてくれるかもしれないのです。もちろん、絶筆のまま出版ってこともあるけれど。

もし、それが「仕事」で、もう少しその仕事を続けたいのであれば、燃え尽きないために逆算して、今ここで休みを取らなければ力尽きてしまうかも、ということを考えながらするのも手です。「この仕事を続けたいから今休む」というポジティブな言い方で「休む」。そもそもそんな「会社」は「ブラック企業」でもあるけれど。
そうやはり「NO」と言えることが大事なのだと思います。「断る」こと、このことを小さいときから身につけることが大事なのです。
それは、やはりなんといっても「自分の意見・自分の考えを持つ」ということだと思います。

「自分はどう思うか・どう感じるか」を常に思考することが大事なのです。
自分の強さを信じる。影で自分の悪口を言われているのではないか、という不安が胸をよぎる人はいます。気持ち分かります。でも、その恐怖から自分の意志を曲げることが良いことだとは思えません。

断るの下手な日本人、というフレーズは結構耳にします。ふと思いついたのは、日本語の断る言葉、「いいえ、結構です」が「NO」という言葉とは=ではないことです。この「結構です」のほとんどが「いえ、いえ心配には及びません」、「大丈夫ですよ、お気になさらないで」に近いような気がするのです。
英語の「No,thank you」とフランス語の「Non,merci」を考えたときに、その訳として「いいえ、ありがとう」という直訳の日本語は使わないのではないか、と思いました。

例えば、友人からの誘いに「ごめんね、●●でいけないの」、会社では「すいません、ちょっと用事で行けません」と謝ってからの断りの言葉が続く気がします。
誘いを断るのに、なんで、謝るんだ?
日本人特有の「せっかく誘ってくれたのに」が( )に入るのです。
これを主体的に自分中心で考えてみることがお必要なのでは、と思います。まず、「謝らない!」なんにも悪くない!断ることに罪悪感を持たない!
今度「ありがとう。でも行けません」「ありがとうございます。でも・・・」とお礼を言ってから断ってみよう。もしかしたらずっと断りやすくなるかも。

やってみよう、と思います。