ブログがなくなって4日目です。私の最近の関心事は人が作る「組織」です。その「組織」の様々な要因が重なって、だ~っと「戦争」に向かったり、「データの改ざん」が行われたり、「なんで」っていうことが起こってしまうことです。
私がいつも思うのは、自分があの昭和の日本の社会に響き渡る軍靴の音が鳴り響く時代に生きていたら、その音に惑わせられてないでいることができたか、ということです。
日本には「神風が吹く」と教育され、英米は敵で、私達は天皇のために私心をなくし、一心となり、奉公しなければならない、と教育されたら、やはり「戦争を正しいこと」と思ってしまうのではないか、と。
教育の恐ろしさを後になって気付く、というありきたりの人であったと思うのです。(仕方がないのかもしれません)私たちに必要なことは、何故あの時代の狂気が生まれ、どのように日本が動いたか、を徹底的に学ばなければならないと思います。
そう考えると、やはり一番必要なことは、「教育」なのだと思います。それは、詰め込め式の「知識」ではなく、自分の頭で考えることができるようになる「力」をつけることが一番大切です。
今年は明治が始まって150年。明治が「新しい国をつくる」、という理想に燃えた時代であったと思うのです。その理想がどう「狂気」にたどり着いたのか、その歴史を学ぶべき、と思います。
日本の歴史を見てみると(素人だけど)、突出した「悪人」は登場しません。その変わり突出した「英雄」もあまりいないような気がします。「組織」で国を動かす、そんなやり方をしてきたのだと思います。信長が殺され、豊臣家があっという間に滅亡、「徳川」が260年も続いたのは、地味で堅実で、突出して人からつつかれるものがなかったからじゃないか、と(勝手に)思うのです。その幕府が260年もの長きにわたり続いたのも「日本的」でもあると思うのですが、幕府の「組織」はもう崩壊寸前、賞味期限切れだったのです。
その崩壊した組織を壊した人達も、「関ヶ原」で負けた長州と薩摩だった、というもの皮肉な話です。
私の父方の祖母は1890年代の生まれだったそうです。(昭和19年に亡くなっているので会えてはいませんが)母親の曾おばあさんは、慶応3年生まれだったそうです。
割と身近な150年、「歴史」から学ばなければいけません。