12年間の服役を強いられた元看護助手の方の無罪が確定しました。
そのニュースが掲載されたヤフーのコメント欄での彼女への中傷が多く、非常に驚きました。
そして、また韓ドラの「シグナル」を想い出したのです。
押し付けられた「罪」で陥れられたパク・ヘヨンの兄。
警察が地元企業と国会議員と癒着している「背景」はドラマ仕立てなのだけど、国家権力が「弱者」を踏みつける構図は全く同じことだと思いました。
何が問題か。
被疑者の権利が守られていない、それが「無罪」が確立したことで明るみになったのです。
彼女の供述がグレーだとか、看護助手で働く資格がどうのとか、それは意見を述べた人の「感想」であって、彼女が晒された「守られるべき権利」を国家権力によって剥奪されていたこととは全く無縁なのです。
4月1日付の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」のインタビュー記事で弁護士の井戸さんが述べています。
この女性の自白を基に調書が作られた。そして、警察の捜査報告書、鑑定医の意見も検察に送致していない部分があった。
彼女は「供述弱者」であった。(軽い知的障害とADHDを持っている)
その彼女に対して、日本の司法は弁護士を付けることを許していない。(一部では認める運用もされているようですが、権利として認められていない)
立法化が急務、と。
検察側の証拠の中に彼女の無罪につながるものがあったにもかかわらず、開示させるかどうかは裁判官に任されているため、開示の義務はない。
そして、再審請求の手続きの法もないことも問題、と言っています。
日本の刑事司法が世界の水準から大きく遅れている、と述べています。
キムタクの「Hero」も、松潤の「99.9」もキムタクは検事として、松潤は弁護士として、その日本の司法に挑戦する異端児としてい描かれているのですが、どちらかというと、突出した人物として「正義」のエネルギーを持つ、というキャラクターでした。
反対に言えば、フツーの検事&弁護士はこの日本の「司法」に太刀打ちできない、ということなのだと思います。
検察が「起訴」した案件で、裁判にかけられれば、必ず「有罪」になる。
その検察の「正義」が正しいのかをどうやって見極めたらいいのだろう?
アメリカの「Low(法律)」のドラマを観ていると、日本の常識では考えられないことがたくさんあります。
まず、何といっても「弁護士」の「クライエントの権利を守る」という意識。
権利の上に法があるかと思うくらい、「権利」が重要です。
被疑者が警察に逮捕され、取調室に座らせられると、必ず「弁護士を」というフレーズが口にのぼります。
その要求に警察は拒むことはできないのです。
証拠がなければ、「起訴」をためらう検察側。
それだけ、人を有罪にするには大変なのです。
私たちはあらゆる人の権利について自分のこととして考えなくてはいけないし、国に対して監視の目を持たなくてはいけない。
「権利」が人によって差がつくとき、「権利」そのものの意味を失うのだと思います。