勝海舟はなぜ長生きだったのか


考えてみると、ブログの崩壊も悪くないような気がします。やり直しをすることが負担に思うというよりも、あったものが全部なくなる、という「爽快感」を感じることができるからです。そうそう人生の「やり直し」は出来ないけれど、こんな「白紙」ならいいかなあ、と思うことができます。

今週のBSNHK「先人の底力 知恵泉」という番組の『明治維新の不都合な真実』というタイトルでなかなか面白いエピソードを紹介していました。確かに薩長が新政府を立ち上げたけれど、実質的に動ける人、HOW TO を持っている人が圧倒的に少なく、敗者になった「幕府側」からの人材を登用せざるを得なかった、という考えてみればもっともな話がありました。

たいした知識があるわけではないけれど、個人的に好きなのは「勝海舟」。この人の明治維新という乱世を生き延びたしたたかさと、うちに秘めた上昇志向、そして誰に何を言われてもめげない鋼のメンタルには魅力を感じます。

最後は結構好き勝手にしゃべったことをまとめた「氷川清話」なる本まででて、77歳という当時ではかなりの長生きをしました。
龍馬は暗殺され、西郷隆盛は戦争に担ぎ出され戦死、大久保利通も暗殺、命半ばでいった人が多かった幕末志士たちから比べると、幸せな人ではないでしょうか。

西郷隆盛との「江戸城無血開城」も、徳川慶喜の助命と徳川家の存続、その二つを要求したと言われています。長きに渡る徳川政権を終わらせた人、そんなイメージがあり、新政府に仕えることにも反感を持つ人が多くいたようです。「知恵泉」では、「徳川慶喜」の名誉回復のため(新政府に仕えて要職に就く理由)、ということを強調していましたが、勝海舟には「幕府側」対「薩長土佐」というようなエリアの意識はなかったと思います。

龍馬に「地球儀」を見せた人物は、もうすでに日本という国を意識し、世界の中の日本を考えていたのだと思います。とても理にかなった、しかも合理的思考の持ち主だったはずです。

そして、ドラマのイメージがそうさせるのでしょうけど、「サービス精神の持ち主」です。つまらない話を面白く語る、そんな人だったのではないか、と思います。

勝海舟が語ったという、天璋院(篤姫)と和宮のエピソードが好きです。大奥を出てからの食事のお話です。
お櫃からお茶碗にご飯をよそる、と二人で言い張り、らちがあかないから、二つお櫃を用意して天璋院が和宮へ、和宮が天璋院へご飯をよそいあったという勝海舟が語った心温まるエピソードです。二つのお櫃を用意したその勝海舟の機転がすごい、と思います。(ちょっと出来すぎ?)

天璋院も40代、和宮は30代で亡くなります。そう考えると、やはり77歳の勝海舟は長生きです。この人の達観した性格と生きることを楽しむ生来の要素の働きが作用した、と思うのです。
書くことが好きで、しゃべることが好きで、「オバサン気質」もあったのかも、と思います。

やっぱり、「おしゃべり」は体に良いのです。