日中国交正常化50周年 ~中国と私~



昨日は日中国交回復から50年の日(1972年9月29日)だそうです。
もちろん、生まれていたけれど、小学生、さほどの興味もなく、「ふ~ん」という感じだったと思います。
その後、あの田中角栄と周恩来の握手の映像を繰り返し見ているうちに、脳裏に焼き付いた感じで、さも当時の記憶のように錯覚してしまうけど、決して「世界情勢」や「国交問題」にチラリとでも意識があったわけではないと思うのです。

それよりも鮮明な記憶は、「中国残留孤児」(1981年)の肉親捜しの来日です。

来日した日本人の孤児たちの姿は、どう見ても1980年代(始まったばかりとはいえ)の日本には相応しくなく、中国という国そのものを体現していたと思います。
敗戦から36年たってしまった不幸、孤児たちの面影を残しているうちに「肉親捜し」が出来ていれば、と思わずにいられなかった。
反対に言ってみれば、環境がこうも人の風貌を作るのか、と驚きを持ってテレビに食い入りました。

忘れられない一コマがあって、日本で出迎えた妹さんが残留孤児のお姉さんに会え、「今のお気持ちは?」という質問に「(お姉さんが)キレイでうれしい」と答えた人がいた、ということなのです。
確かにその方は、(ほかの人との一線を画して)なるほど、キレイだったのです。

今だったら、そのインタビューもオンエアにならないし、私たちもそんなストレートな発言も出来ない、とも思います。
その一連の「中国残留孤児の日本人肉親捜し」は、戦争を知らない世代の、若干親世代から引き継いだ、「日本優位的心情」を植え付けた出来事だった気がします。

そしてその4年後、1985年、中国に旅行に行った私は、中国の広大な自然と自転車の大群に圧倒されつつも、
「開放路線」が始まったばかりの中国に、「まだまだだね」と思ってしまいました。
「一人っ子政策」のポスターに強烈な違和感と、上海から離れた地方での人々の見るからに「貧困」が影を落としているのを見て、体験したわけではないけど「戦後日本」を思い浮かべました。

今の中国の発展をその時の私は想像もできませんでした。

どこでもスマホ決済ができる中国、「電子マネー」絶対日本よりも進んでる。
IT起業家とか、最先端技術等、国が後押しするシステムが構築されていそう。
日本人研究者が潤沢に研究費がある中国の大学に職を求める、という記事も読みました。

「人権問題」「防衛問題」「香港」「台湾」色々中国の問題はあるけれど、政治と経済、政治と文化、政治と国民、は分けて考えるべきと、思うのです。

韓国にしても、中国にしても、日本が立ち遅れているものがあることを自覚して、学ぶべきは学ぶ。
ちょっと教科書的になってしまったけれど、「韓ドラ」に負けずとも劣らず、「中国ドラマ」も相当レベルが上がっています。

認めるべきは認めたい、と思います。