「D.P. -脱走兵追跡官-」2



繰り返し見るにはちょっと重い「D.P. -脱走兵追跡官-」だけれど、すごい作品だということは、日々確信が強まっています。
この誰もが隠したい軍の闇にメスを入れたネットフリックスと作品にかかわったスタッフに敬意を表したい。

ドラマを観ていて思ったことは、たかだか2年くらいの(いえ、それは傍観者の意見)「兵役」が韓国男子に課せられているのではない。
その2年の体験が韓国の社会に及ぼす「影響」は、少しずつ少しずつ「闇」を形成する「バタフライエフェクト」なのではないかと思いました。

この過酷な体験を特権階級の息子たちが難なく免れることを妬む。
ジェンダー論争がさかんになった今日、色々な権利を主張する女性が全くこの体験から無関係なことを恨む。
早く軍に入った兵士に奴隷のごとく扱われれば、耐えた日々を次の奴隷に償わせる。

この「負」の染みが浸透していく「男社会」が「女性蔑視」を生み、「上下関係」を作り、国を形作る。
愛する恋人を兵役に送った女性が今度、息子を兵役に送る。
「過酷な2年」に耐えた息子に従順な「嫁」を望む姑になる。
「82年生まれ、キム・ジヨン」もそんな韓国社会の中で生まれた本だったのかもしれない。

ハッとさせられたのは、後輩を徹底的にいじめて、除隊した元兵士がコンビニエンスストアで働いている場面。
そこの店長に理不尽な理屈で正当な仕事に難癖付けられ、「軍除隊のヤツを雇ったのに」と頭を小突かれる。(時間がきて廃棄した食品をオーナーのおっさんがまだ並べておけと頭を叩きながら言うこの場面は会社からクレームが入った)
「軍隊」を除隊しても、またこんな理不尽がまっていれば、その元兵士は自らを反省する場所を永遠に持つことがないのではないか、と。

この場面は、かなり極端な描写だと思うのだけれど、「軍隊の特殊性」という理屈が足元から崩れ、「負」の無限のループから脱することが不可能だと突き付けらる。そして、「正義」や「正論」が真っ当に機能するという場所がないことに「絶望」する。

ゆがめられた「精神」がPTSDになるか、「他罰」になり自己正当化するか。
つまり、自分の精神をやられるか、常に弱いものをいじめて自己を保つか。

救いは、ラストのチョン・へインが隊を離れて歩き出すシーン。
静かな「反乱」で、それは隊を乱す「美しさ」。
一人の静かな「抵抗」がまた「バタフライエフェクト」になり、それ(軍隊、社会、コミュニティ)を変える力になって欲しいというメッセージだった・・・・そんな気がします。シーズン2を是非!!