「東京オリンピックはインパール作戦」

戦没者遺族に支払われた公務扶助料の階級別平均額 出典:公務扶助料統計表(1955年3月末)

6月の更新がないまま7月になってしまいました。

このところ、特にドラマも映画ものめり込むものがなく、低迷している日々です。

6月にはあった「東京オリンピック無理やり開催は太平洋戦争時のインパール作戦と同じ」「日本はIOCの植民地だったのか」という記事もなりを潜めて、やっぱりなし崩しで突き進む図が見えてきました。

いつも思うのは、日本という国は結局「自己責任」で全てを終わらせてしまう、ということです。

去年放送されたNHKスペシャル 「忘れられた戦後補償」を見て、この国のありようを改めて考えさせられました。

旧軍人・軍属の士官クラスの人たちが横滑りして「厚生省」に残り、GHQによって戦後廃止された「軍人恩給」をサンフランシスコ条約締結の二日後「戦傷病者戦没者遺族等援護法」として復活させるのです。(そののち「軍人恩給」も復活)
もう一つBHQに廃止された「戦時災害保護法」(民間への補償)は違う形でも残すこともなかったのに。
「組織力」で動くことができた「残された軍人遺族の会」、一方民間被害は、戦後すぐには立ち上げることができなかった。

招集令状によって動員された兵たちとは違い、「空襲」は国が把握しきれず、膨大なマンパワーが必要だったのかもしれないその仕事をする「発想」もなかったことは容易に想像がつきます。
組織力があった「旧軍人組織」は国をも動かす力があったわけです。

そして、その「軍人恩給」は「戦犯」でも補償され、なにより旧階級で「差」をつけ、戦前のまま戦後補償につながった、という驚きの「恩給」だったのです。
旧植民地の軍人は補償の対象から外されました。

ついこの前も韓国籍の旧軍人で戦犯になってしまった人が、日本に訴えた「補償」が退けられました。
日本人として従軍したのに、戦後は日本人ではない、ということで、全ての補償から外す。

民間補償はキリがないから、しない。
何度国に訴えても退けられた「民間被害」の調査・補償。
「特権階級」に与えられた恩恵がそのまま残り、巻き込まれた民間人は「自力で立ち上がれ」と突き放される。
コロナ禍で大手会社は「リモート」をいち早く取り入れ、リモートができない会社員は満員電車で通勤。

高級参謀が冷暖房完備の部屋で兵士の配置の図面を引いていた一方、一般市民は赤紙一枚で、兵站も武器もない南の島に行かされる。
この構図は全く変わっていないのです。

下記引用を改めてかみしめたい。

「個人の被害に国が向き合うことは、民主主義の基礎をなすものです。国家が引き起こした戦争で被害を受けた個人に補償することは、国家と市民の間の約束です。第二次大戦は総力戦で、軍人だけでなく、多くの民間人が戦闘に巻き込まれ、亡くなりました。軍人と民間人のあいだに差があるとは考えられなかったのです」(コンスタンティン・ゴシュラー教授 ボーフム大学 歴史学部)