「梨泰院クラス」と「愛の不時着」のキャラクターについて考えてみた



「梨泰院クラス」のパク・セロイは実業家であって、「正義」を重んじても何が得かを考える人だった。
そんな風に考えるとやっぱりセロイがスアではなくてイソを選んだのは、はなから決まったことだったようにも思います。

途中真ん中あたりで「タンバム」にスアを呼んでも良かったのにとも思ったり(スアの能力の高さはチャン・テヒも認めていた)、スア自身、さっさと独立してもよかった。
実際ドラマを観ていて、スアにイライラしてしまった。
イソに言う「セロイは私が好き」という言葉も、セロイの周りをうろうろする感じも好きではなかった。

セロイの方は「完璧な勝利」を目指していた、その後で「スア」のことを考えようとしていたんだろうと思うのです。
ジョンヒョクとは違い(スアに命の危険はないし)、何もないところにセリという「目的」が出来たのではなく、「復讐ありき」でスアがいた、ということに同じヒーローでも大きな「差」があったわけです。

ジョンヒョクは自らを省みずセリを守る、イソもセロイの目的を果たすために自分の身を削ることも厭わない。
(イソの場合は、その後にセロイが自分を見てくれるだろうという次の目的はあったけれど)

「生きる希望」がなかったジョンヒョク、「復讐」が目的のセロイ。
ジョンヒョクがセリを守ることに一種の生きがいを見出したと同様、イソもセロイの目標を叶えることを自らの生きがいにした。
面白いことに、「愛の不時着」と「梨泰院クラス」では、ジョンヒョクとイソが同じタイプで、セリとセロイに共通項があったのです。

最終的に目的を叶えたセロイとセリ、ジョンヒョクはもう一度音楽家を目指す変化を遂げます。
セリによって自らの希望に向かう力を得たジョンヒョク。
イソはセロイによって「会社経営」の面白さを知った。

セリとセロイはスタートから揺るがずに、完璧な実業家でした。
セリは父親のバックグランドが「財閥」とはいえ、庶子からの認められたいという強烈な意志、セロイは「長家」を潰すという思い、マイナスからのスタートだったことも共通です。

父がいず、母にも捨てられた過去を持つスアは、誰も信じられなかったし、実際セロイがどこまで成功するかも「懐疑的」だったのでしょう。(途中ここでやめよう、ともセロイに提案もしていたし)

となると、一番の不幸はなんだかんだで「スア」だったのかもしれない、という結論にもなってしまう。
セロイは父がいたし、イソには母がいる、その「愛された記憶」がスアとの違いだったのかも、と思ってしまうのです。

「成功を信じることができる」のは、やっぱり自分を信じることができるかどうか。
それには、やっぱりゆるぎないなんの見返りも求めない無償の「愛」が必要だった、ということなのかもしれません。

「愛の~」で言えば、詐欺師のク・スンジュンがその典型。
ソ・ダンによって真実の愛を見つけるのですが、それまでの紆余曲折は、家庭崩壊後、独りぼっちでの「成り上がり」たい気持ちが先行していたからに違いありません。
スンジュンとは違い真っ直ぐに生きてきたスアだけど、環境を考えるとスンジュンとスアは似ている気がします。

スンジュンは凶弾に倒れてしまったけど、スアには是非、ラストに登場した、自分の店の雇われシェフのボゴム(カメオ出演)と是非幸せになって欲しい、と勝手に思いました。