「エール」が突きつけたものとは。



キッチリ視聴しているわけではないのだけれど、9月に放送を再開した「エール」。
「長崎の鐘」の今週、山場だったような気がします。
恩師を目の前で亡くし、自分の作った「軍歌」で多くの人が亡くなったと作曲が出来なくなった先週の暗闇からのやっと明るい兆しです。

朝のテレビ小説、と言ってるくらいで、ここら辺はフィクションだと思うのですが、実際の古関裕而は、きた仕事をたんたんとこなす人だったようです。
もちろん、戦後「軍歌作曲家」だったことへの自責とか後悔が全くなかったと言い切ることはできないけれど、おそらく、「目の前の仕事をしてきただけ」という割り切りが(どの程度かはわからないけど)あった人だったと思うのです。

兵隊の励ましだという自負もあっただろうし、何より国が求めたものに応える気持ち、そして曲を作る喜びが「国策」やら「思想」やら「軍事」を超えただろうと推測します。
何より、コロンビアレコード専属作曲家として、その契約を継続してゆくには、ヒット曲を生み出し、会社へ貢献しなければならなかったのです。
「軍歌」を作ってくれ、というオファーがあり、その注文に応じることは、「家を建てる」「服を作る」というようなことと一緒だったはずです。

先週と今週、ドラマが発信している「戦争の反省」は難しいテーマだったと思います。

古関裕而は、慰問は行っても、最前線にはいかなかっただろうし、ましてや「トラウマ」を背負う体験はゼロだったと思います。
ひたすら「曲」を作っただけという、仕事を果たした気持ちが彼の中を占めていたと思うのです。
そして、戦時中とはいえ、自分の作った曲が世に広まった、という喜びは、何物にもかえがたいものだったはずです。

思うに「戦争」に対する「加担」というのはどこからどこまでで、どう「考察」すればいいのかは極めて曖昧だということです。
ゼロ戦を設計した堀越二郎は、ゼロ戦が「特攻」に使われたことを悲しんだと言われているけれど、戦後また飛行機の設計に関わりました。

二人に共通するのは、自己の仕事への自負、ではないでしょうか。
「仕事」は個人の精神の充足を促します。(それは戦時中でも戦後でも)
その充足を味わったことは「罪」ではない、と。

モノづくりは「戦争」に取り込められやすいし、それが「国家総動員法」だったのです。
軍人と政治家だけが「戦争」をおこしたんではない、企業が協力した、企業が先導した部分もあったということに目を向けなければならない、ということを「エール」は教えてくれたと思います。

これは現代でも起こりうることなのです。
例えば、会社員としての利益追求が他の国や人々の利益を損なうもの(健康被害とか)だとしたら、それでも「生活のため」にその会社に居続けなければならないとしたら。
「組織の罪」を個人がどこまで感じなければいけないか?

実際の古関裕而、堀越二郎が突きつけなかったものを問うた、「エール」。
私たちに突きつけられたものはとても「深い」と思いました。