「小野田少尉 帰還~戦後29年 ジャングルの中で~」


「アナザーストーリーズ」、8月5日に去年放送した「小野田少尉 帰還~戦後29年 ジャングルの中で~」の再放送がありました。

1974年に3月にフィリピンルバング島から日本に帰国。
1972年に横井正一さんがグアムから28年ぶりに帰国したニュースに驚いたばかりだったのに、「また?」と思ったのを覚えています。

そして、「恥ずかしながら戻ってまいりました」とよぼよぼ感があった横井さん(当時57歳)と比べると「なんだ、このバリバリ現役兵隊感は?」とあの敬礼姿の小野田さん(でも52歳)にびっくりしました。

戦争には行っていないけど、軍国少年だった父に聞くと、「小野田さんは陸軍中野学校を出ているから」という返事で、つまり横井さんの(徴兵された)軍歴とは違う、ということを言っていたのですが、その「アナザーストリーズ」からの興味で調べると小野田さんにしてもたった3ヶ月の「諜報訓練」だったことをはじめて知りました。(Wikipediaより)

「恥ずかしながら~」の横井さんは、「死して虜囚の辱めを受けず」という教えに反したことが申し訳ないということ。
小野田さんの中野学校は、「何としても死んではいけない」という教えからの「戦闘継続」
その違いはあるようですが、なんか横井さんにはない小野田さんの強い「プライド」があったような気がします。
多分、学校卒業後は商社に勤めていて、外国語も堪能だったことも中野学校への入学に結びついたようで、教育的背景?もあったのでしょう。

1974年当時は中学生で、「いや~良かった、良かった」で終わってしまったけど、ただそれだけでない側面があったのですね。
小野田さんたちが(小塚さんという人は銃撃戦で1972年死亡)島の人たちを30人も殺していたことには驚きました。
当時のマルコス大統領がその罪を問わなかったこと、日本側も3億円の「見舞金」を用意したこと。(そのお金を大統領は受け取らず、日本政府はフィリピンの民間の団体に寄付)
なかなかブラックな側面があったのです。

その当時よりももう少しあとに、もじゃもじゃ頭の人がいるとその頭に向かって「小野田さ~ん、出てきてください~!」って叫ぶのが流行っていた記憶があります。
小野田さんの帰還の話題になると、過去に何度も小野田さんの捜索に行った様子が繰り反し放送され、それをお笑い界のアイドル「B&B」が流行らせたのです。

無性に面白かったのは、何か当時の「小野田さんを囲む」(日本の)可笑しさを体現していたからなのかも、と今思うとそんな気がします。
「美談」にしたてたマスコミ、フィリピンとの関係を考慮しつつ、小野田さんを祭り上げることに水を差したくなかった政府、小野田さん自身に対するうしろめたさもあったと思います。

結局日本にはなじめず、1年後にはブラジルに渡り、「牧場」で成功しました。
その後、子どもが起こす事件に心を痛め、「小野田自然学校」を立ち上げ、自然の力を子どもたちの育成に役立てることを実践しました。

頑固な人ではあったようですが、真っ直ぐな人だったのだと思います。
そして、「物事は一方から見ていただけでは理解できない」、ということなのだと思います。