5月14日(火)、BSプレミアムのアナーザーストーリーズ「モスクワ五輪ボイコット~幻の日本代表 涙の密室劇~」はとっても面白かった。
1979年ソ連がアフガニスタンに侵攻したことに異を唱える意味で、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターが西側諸国にモスクワオリンピックのボイコットを呼びかけたことに日本も追従した「幻のモスクワ五輪」を色々な視点から構成した1時間の番組です。
当時、すでに立派な(?)大人だった私はボイコットのニュースを「そりゃソ連悪い」くらいにしか考えてなく、さほど「スポーツ」に造詣も深くもなく、さほど興味もないゆえに、その時点で選手としてのピークにあるアスリートたちの悲劇を思い描くことはできませんでした。
当時日本はオリンピック委員会が日本体育協会の機関であり、国からのお金で運営をしていたので、「従わなければ予算を打ち切る」という言葉が一番効いた、らしいのです。
最終決定の会議にはその時の官房長官伊東正義が出席したとか。
発言はしなかったらしいのですが、それは「政府の意向」を体現していたのです。
別に伊東正義が悪いわけではないのでしょうけど、私の中の伊東正義のイメージ(クリーンな政治家だったという)にちょっとしたシミがついた感じ。
いえ、仕方なかったのでしょうけど。
それにしても イギリスのセバスチャン・コーの視点が最高でした。
わずか23歳にして、「イギリス政府の方針は間違っている」と政府の圧力にも屈しなかったセバスチャン、800mでは銅メダルでしたが、1500mで金メダルを獲得しました。
ジミー・カーターではなく、「マグナカルタ」に従う、と言った人もいたとか。
それにしても、セバスチャン・コー、カッコいい人です。
未だにスレンダーで、美男子の風貌を保っています。
イギリスオリンピック委員会は、政府とは意見を同じくせず、最終的には参加を決めました。
フランスは、個人の判断にまかせる、という最終結論で、さすが「個人の国」です。
モスクワへ言って、「ソ連は間違っている」と言いたかった、と当時の選手が言っていました。
日本のオリンピック委員会の経済事情もあり、一概にイギリス、フランスとの比較は短絡的ではあるのだけれど、なんか結局、一方方向を向く、というのは40年前も今も変わらない、という気がします。
わずか23歳の若者が(しかもずっとスポーツをしてきた)「政府は間違っている。オリンピック参加妨害をする権利はない」と言い切れる教育を日本がしていない、という気もしてしまいました。
政府の過ちを個人の意見で発言する土壌がない。
これは今も変わっていないのだと思います。
でも、レスリングの高田裕司さんが登場してなんとなくわかったことがあります。
当時の泣きながら「出たい」と訴えた若者が、「今度は何があってもオリンピック委員会が選手を守る」という頼もしい立場になっていました。(現在オリンピック委員会メンバー)
モスクワ出場を阻まれ、引退するも、再びロサンゼルスオリンピックに参加、金ではなく銅に甘んじた自分の不運を内省して、それをバネに指導者になったのです。
泣きながら感情論で訴えた、ちょっと強面の若者から、なんといい顔をしたオッサンになったのだ、と感心しました。
日本の教育(勉学でもスポーツでも)はなってないけれど、個人の内省する力が個人を育てたのだ、と思いました。
彼の「自分の不運」をもっと早くに生かす手立てがなかったか、とも思います。
もっと早く「日本政府」の過ちを彼自身が納得する形で伝える動きが欲しかったとも思います。
個人の力でしか再生できない日本のシステムも、どこか欠陥がある気がしました。