『伊藤野枝 恋と革命とスキャンダル』


歴史を切り取るドキュメンタリーが好きです。
5月11日(土)の『バカリズムの悪女伝説 瀬戸内寂聴プレゼンツ 伊藤野枝 恋と革命とスキャンダル』 を観ました。
伊藤野枝と言えば、大正時代に起こった「関東大震災」の混乱時に大杉栄と甥の橘宗一とともに殺害されたことが有名ですが、案外それくらいのことしか知らなかったのです。(それにしても大杉栄の甥はまだ6歳の子ども。その子までも殺すなんて時代とはいえ、軍部の台頭が目覚ましくなっていたということがあっても「恐ろしい国」だ(だった?)と思います)

この番組結構面白く、ついでに図書館から借りて「美は乱調にあり」(1966年出版時、瀬戸内晴美)を読みました。
これもなかなか面白かった。

読み終わって思うのは、やっぱり半世紀、いえ1世紀早く生まれてしまった人。
今存在しても、おそらく(投稿した文章は全て)炎上してしまうことは間違いない。

自分の欲を優先する人、自分の尺度で物事を決める、人がどう思うと気にならない、なんとなくだけれど、もしかすると、ADHD的傾向があったかもしれない。
(あくまでも個人の見解です)

一番気になったのは、辻潤と別れるときに連れて行った次男(生後まもない赤ちゃん)をすぐに養子に出してしまったこと。
どうしていたか気になったら、若松家(千葉の網本の家だったらしい)に引き取られ、80歳を上回る人生を送っていました。(長生きが手放しでいいわけではないけど)
良かった、よかった。

ともかく、思ったことを成し遂げる力を持った人、だったということです。
その「美は乱調にあり」の冒頭、瀬戸内晴美(当時)は、伊藤野枝の親戚に会いに出かけ、野枝の娘さん、叔母さん、妹さんに会うことが出来て、小説の冒頭かなりを占めています。

もちろん、身内の話だって全部本当かどうかなんてわからない。(時間がたっているし、時代も違っているし)
でも、野枝が家事が苦手で(本人にはその自覚はない)、いつでも本を読んでいて、里帰り出産をしても、夫たちが子どものオムツを洗ってたというエピソードがなかなか真に迫っていて、大正の時代、かなり素敵な話だと思いました。(男を見る目があったともいえる)

大杉と同棲してからは、常に尾行がついて、尾行の刑事に荷物を持たせたり、挙句には、尾行の刑事が気に入らないと、刑事を変えさせたり、なんて超タフな人!
辻潤との子を二人、大杉栄との子を5人産んでも28歳、体も精神も頑健だった人なのです。

読んで思ったのは、「知への貪欲さ」、辻の知性を愛していたのに、その矛盾が発生したとき、そこから飛び出すことも厭わない。
辻の野枝が学問をするために、「家事をしなくていい」という言葉が、「自分の子の面倒も見られなくて何が社会問題だ」という発言に変わったとき、その矛盾が許せなくなったのです。

なんて自由なんだ、とは単純には思えません。
常に必死で「愛」を求める野枝には、「知」への渇望とともに、誰かに「愛されたい」という強い欲求を感じます。

どこかアンバラスな、どこか危うい感じ。
それが魅力でもあるのですが、根底にある学問に対する執着も、誰かに頼らねばならなかった「家庭的事情」(つまり家が貧しくて借金で女学校で学んだ)が尾を引いたような気がします。
急性的な革新論者ではあるものの、常に誰かからの「知の伝授」を求めていたような気がするのです。

もう少し長生きしていたら、もっと知識を獲得し、自己の思考を確立し、大杉栄とも別れて完璧な自立をしていたかもしれません。
早世が惜しまれます。