「仮面の王 イ・ソン」から感じる日本と韓国との違い


いや~暑い。
そんなこんなでこの暑さ、しばらく我慢しなければならないのでしょうか?
何日か前、北海道の友人から「ストーブを使っている」というメールがきて驚きました。
日本って狭いようで広い、縦に長いだけのことはあるんだなあ、と思いました。
自分の見ている風景だけが「世界」ではないってことです。

NHKBSで毎週日曜日に放送されている韓国ドラマ「仮面の王イ・ソン」が佳境に入っています。
あと残すところ5話。
なかなかよくできたドラマだと思います。(15話までのところ)

「責任をとらぬ権力は戦よりも恐ろしい」というイ・ソン(ユ・スンホ)のセリフにぐっときました。
あの人にもこの人にも言ってやりたいと思います。

このドラマはとってもわかりやすい。
悪者に支配された王宮、なんとかそれを救おうと奮闘する未だ王を名乗れない青年。
偶然から王の名を名乗るその時代では賤民だった青年。
二人から愛される女性。

脇を固める演技のうまいおじさん達(おばさんも少し)も多々いますが、話の中心はその若い人達です。

主役ユ・スンホの上手さは子役から定評がありましたが、驚いたのは偽王にさせられたイソン役のエル(INFINITEというKPOPグループの一員だそうです)の上手さです。
きれいな顔立ちに似合わぬしっかりとした演技をしていると思います。

みすぼらしい姿で、イ・ソンが世子(セジャ、王子)だということを知って「へりくだる」姿、傀儡王なりたてのたどたどしい姿、愛する女性カウンをイ・ソンと奪い合うために、王の権力を使おうと意を決する姿、ふり幅の大きい人物をキッチリ演じているのです。

また、このドラマの不幸の象徴であるので、演技にかなりの重厚さを求められるのですが、それもキッチリ果たしています。
日本のアイドルグループで誰がこのレベルの演技ができるだろう?と要らぬ自問自答をしてしまいます。

しかし、その比較が「無用」であるのは誰もが知っているところです。
日本の歴史ドラマでこんな「怨念」を絞り出すような演技を必要とするものは「作らないし作れない」

なぜ私たち日本人が韓国ドラマに惹かれるかという原点に立ち返ります。
一概には言えないけれど、やっぱり日本人の中には「恨(ハン)」の要素が少ないのだと思うのです。
韓ドラに多く含まれる恨(ハン)を物珍しく、新鮮に思うことから飛びついた経緯が物語ります。

福山雅治の「龍馬伝」にしても香取慎吾の「新選組!」にしても作り手の狙うところ、そして「俳優」に求められるものが全く違うのです。
「豪華さ」は必要「共感」も大切で、でもテンポと爽快感を何より必要とするため「怨念」の演技は必要なく、何か「ひょい」と飛び越えるような「パワー」とか他にはない「ユニークさ」を求められている気がします。