The more you know,the less you need. 知れば知るほど必要なものが減ってゆく。
アボリジニのことわざだそうです。
深い!!
哲学的でもあります。
反対に言ってみれば、「欲深き者、汝の名は無知なり」っていうことでしょうか?
でも、知れば知るほど必要なものが減ってゆく、このことは歳をとってきてよくわかる気がします。
まず思うのは、「承認欲求」ってヤツから解放されたってことです。
少なからず誰もが持つ、「認められたい」という思い。それは集団生活をはじめる幼稚園・小学校の時代から始まります。●●ちゃんよりも勉強が出来るようになりたい。クラスで一番速く走りたい、などなど。
高校あたりになると、「付き合っている人がいる」、「可愛い、かっこいい」、「トップ進学クラス」、ありとあらゆる競争が待っています。
いろんなことで、「自分はあの子よりも負けているのでは」という懐疑心でいっぱいになる時代です。
さらにそれから先は、イタリアに行った、イギリスに行った、グッチだ、ヴィトンだ、と。
で、結婚、子ども、子どもの進学先・・・夫の職業・収入・・・
それが全部終わると、平等に「老化」がやってきて、「欲」がそぎ落とされてゆきます。(美魔女とかいう「歳をとってもキレイでいたい」というバイタリティーある人は置いておいて)
最終的には単純に『できるだけ健康で、普段の生活をする』っていうのが幸せだ、というところに落ち着くってことです。
そして、『いかに楽しく日常を過ごせるか』がシニアの「かなめ」なのだと思うのです。
もちろん、エルメスやシャネルが幸せな日々をもたらしてくれるならそれはいいことです。
それを眺めているのが「至福」で、それが「生きがい」のレベルに到達したということならステキなことです。
でも、やっぱり「精神世界」が楽しく・ワクワクしているのが一番、というシンプルなところに行き着くのは、モノを持ってあの世にはいけない、という摂理に基づくものなのかもしれません。
生まれたときが何も持ってなかったように、死ぬときも何も持たない、行き着くのは億万長者だろうが、ホームレスだろうが同じなのです。
でも、小さなワクワクがある人生、小さな幸せがある日常、それがちょっとでも長く続くことが理想であるのも、また皆同じです。
どこかに行ったという足跡ではなく、あそこに行って楽しかった、という「Happy」が何よりの宝物になるのだと思います。