エリザベス女王2世について考えた

『アナザーストーリーズ 運命の分岐点「エリザベス女王 逆転の決断」』を見ました。どこのロイヤルファミリーも大変です。
まず日本の皇室との違いを感じました。その存続をかけての涙ぐましい「努力」。
元をたどれば、イギリスに限らずヨーロッパの「王」は、その昔、その国の「征服者」だったわけで、「征服者」に挑戦する次の「勇者」が現われ「戦いに勝てば」また新たな「王」が生まれました。
日本の皇室に対する「ありがたいもの」、「侵すべからずの存在」というような感覚はないのです。「好きか」「嫌いか」
天照大神を始祖に抱く万世一系の伝統、なんていう神秘よりも、もっと俗っぽい「獲得」した地位、血なまぐささが漂います。

何が言いたいかというと日本との違いは、その王室のルーツはいくつもの血筋があり、国をまたいでの王位継承があり、その度に「〇〇朝」というように王位の血筋が変わりながら柔軟に受け継がれているのです。
それゆえか、国民の血の中に「今度の王はどんなヤツか」というような「興味を持つことが当たり前」であり、「評価・批判」は当然、という「大衆ウォッチ」が存在している気がします。そして「王室の存続には大衆の人気」が必要とされていること、その違いがあるのではないでしょうか。
イギリス国民が持つ「自分たちが王室を支えている」という意識です。

そして、非難もされるが愛されもする存在。

冒頭から映し出される「スキャンダル」の数々。実妹の不倫、娘の離婚、息子の離婚、女王の夫の不倫疑惑。
「チャールズとカミラの不倫」しか知らなかった私ですが、この家族の中にいれば、この不倫はしかたがないのでは、とすら思えます。
この番組の中ではダイアナは女王から「少しの時間我慢しなさい」と言ったとされていたけれど、どこかの記事ではエリザベス女王から「(チャールズの不倫は)私にはどうにもできない」と言われた、と書かれていました。

女王からすると、「イギリス王室がとるべき道はどれか」ということが軸であるけれど、ダイアナからすれば「自分はどうすればいいか」になり、二人の気持ちは出発から全く違うものだったのだと思います。25歳で王位を継承して、国家と国民のために生きることを誓った、もっと言えば父が王位を継いだその日に「国」の意識を持ち、「帝王学」を学んできた人と、王室に入ったとはいえ、「幸せになる権利」を(当たり前に)望んでいたダイアナとの間には、深~い溝があったのは当然でした。

その『ダイアナの死』がエリザベス女王の分岐点になるとは皮肉な運命です。
『ダイアナの死』になんのコメントも発表しない女王の沈黙に国民が怒りを持つ。その国民の怒りを鎮めるためにとった女王の行動、その国民の気持ちに寄り添うことを決意したその瞬間に、女王としての威厳やら誇りやらをかなぐり捨てたのではなく、『同じ気持ちになる』ことが女王に相応しい、と信じたのだと思います。

元々持っていたエリザベス女王の『人に寄り添う気持ち』、自分の『優しさ』を表出することをためらわなくなったきっかけだったのだと思うのです。
今の表情の方が昔の女王の表情よりもずっと親しみやすい。
『王位につく者に相応しい態度は』『超然とすること』、そんなポリシーを持った女王が解放された瞬間だったのかもしれません。

いえ、「威厳」を持ちながらでも「気持ちを表現」することが出来ることに気がついたのです。
今、エリザベス女王はとても楽しそうです。引退する気持ちは一切ないとか。

まだまだ在位年数を伸ばしていって欲しいと思います。