歳をとると体はきかないし、頭は悪くなる一方だし、何のいいこともないと思うけれど、「もう人に好かれれなくていい域に達した」という特典は、何ものにも代えがたいものがある気がします。
好きに生きて行ける、そんな感覚を持つことが出来るって何て素晴らしいのでしょう。
さほどちやほやされた記憶はないけれど、やはり「若さ」だけでおっさんたちに喜ばれたっていうことはあったと思います。それが自分にとってうれしかったわけではないけれど。
どこか枠組みにはめ込まれた感じ、まあお酒の席では飲めないけど、無理やり飲まされたり(昔は飲めば強くなるという間違った考えがまかり通っていた)コップにお酒を注がなければと思ってみたり、ということなのだけど、なんかそんな外からの「圧」がありました。
それが全くなくなったのはこの上のない「良いこと」と思います。「こうしなければいけないんじゃないか」「こうふるまわなければいけないんじゃないか」という外圧が自らの行動を規制するものだ、と気が付いたのはやはり「オバサン」になってからです。誰かに認められなければ、という強迫観念に似たものは、あの時代(と時代のせいにしてしまうけど)1980年代の華やかな世の中で、なんだかんだと言いながら、「25歳・26歳までに」というプレッシャーがあったのは、今考えればおかしなことです。
この前「マツコの知らない世界」でXJAPANのYOSHIKIを好きな女子が出てきて、YOSHIKIの追っかけをするのに自分の会社を興した、という話に感動しました。なんて良い世の中でしょう!!
YOSHIKIの追っかけをするのに、雇われていたらそれは出来ない。自分が会社の社長になって、従業員を雇うことができればなんてことはない話になるのです。(IT関係の仕事で、パソコンがあればどこでも仕事ができる、という話でした)
良い世の中になったものです。(ホントに)
自分の会社を作って、その利益で自分の好きなことをする、誰にも迷惑がかからず、誰にもとやかく言われることはないわけです。彼女は、いわゆる「オタク」なのでしょう。
好きなものに対するモチベーションでものすごいパワーを発揮する。欲しいものが明確だから、誰に何を言われてものへっちゃら。すでに「オバサン」の領域にも入ってきているのです。
自分の欲しいものを手に入れるには、「自立」&「MONEY」&「勇気」。
私たち「オバサン」も遅まきながら「好きなコト」をするために、気合をいれなくちゃ、と彼女を見ていてそう思いました。