「サバサバ女子」にはなれない!


「サバサバ女子」というネーミングがあることを知りました。イメージは、「ショニム」の江角マキコ、だそうです。イメージ通りではないかと思われていた江角マキコですが、その世間からのイメージに振り回されてしまったのか、迷走した挙げ句「引退」してしまいました。

思い出すのは、最初の結婚ののちの離婚のあと、姑だった桐島洋子が江角マキコのことを「暗い人だった」と語っていたことです。女性週刊誌だったと思うのですが、その時は「なんて意地悪な」(また桐島洋子がキツそうなオバサンじゃないですか)と思ったのですが、今考えると桐島洋子の作家的観察眼で、冷静な視点だったのかもしれません。

ともあれ、「サバサバ女子」はなかなか生息していないのかもしれません。特に「自称サバサバ女子」、「私ってサバサバしているの」とかいう女子はかなり怪しい、と思います。

まず「自分がサバサバしている」という人の自己覚知能力がちゃんとしてるか、という疑問。「私ってさっぱりしているの」とか「私って〇〇なの」という言葉にはそう見られたい願望を感じます。自己覚知能力が高い女子は、自分を〇〇タイプ、と型にはめないはず、と思うのです。だって、まず〇〇タイプかも?ということはあっても、〇〇タイプだ!!って断定できるかなあ、と。

「自分がどう見られたいか」が先行している、〇〇タイプとして見て、見て!という承認欲求の強さを感じます。

そう、自称〇〇は絶対に信用できない。職場に「私って嫌いな人がいないから」という言葉をよく言う人がいます。私が人の批判をしていたときに言われました。

その人がものすごくいい人かって言ったらそれは??なのです。
まず、その人は「私って~」というオンパレード。一時食堂でお昼に顔を合わせていた事があったのですが(今は違う場所なので会わない)、まず人の話を持っていく。
私が「姪が劇団に入ってね・・・」という話をしていたら、「娘の友人が○○でスカウトされた」という話にすり替わり、「ウチの犬が・・・」という話をしていたら、「今度うさぎを飼って・・・」という話に持っていかれ、(ホワイトデーで)「お菓子をもらった」という話をしていた人がいたら、次に会った時には「私も机の上にチョコレートが置いてあった」という話になっていたのです。

その自己申告(「私って嫌いな人もいなし、誰とでもうまくやっていける」という)は間違っている!!!
あんたが嫌いな人がいなくても、「私が嫌いだ!」と叫びたくなりました。
おっと、悪口、悪口。というわけで、私は決して「サバサバオバサン」にはなれません。粘着質の意地悪な人の好き嫌いの激しい「オバサン」です。