NHKでシリーズ1を視聴してしばらく置いておいた「アンという名の少女(Anne with an e)」をNetflixでシリーズ2から視聴し始めました。
これがホントに面白い!!!!
シリーズ1は私自身戸惑いがあり、アンの生い立ちと周りの差別にちょっと引いたのですが、シリーズ2でこのドラマの醍醐味に気付いてしまった。
なんとまあ、19世紀の終わり、20世紀の始まりの舞台のドラマに「ジェンダー」やら「LGTB」やら「マイノリティー」やら「教育問題」やら「政治的問題」を詰め込み、面白くしたのでしょう。
アンのなんと向こう見ずで、果敢で、勇猛で、賢いことか。
このドラマは「赤毛のアン」の似て非なるものと思います。
世界観はそのままに、でも全く別の物語になっているのです。
ギルバートは父と二人暮らしで、父は病気で亡くなり、父の希望でもあった「旅」に出ます。
それは、蒸気船の底で石炭をくべる仕事、黒人のセバスチャン(バッシュ)と仲良くなるのです。
バッシュの故郷トリニダードトバゴに辿り着くも、母は住み込みのメイドで、息子のバッシュを主の目に触れないようにバッシュとギルバートを追い立てます。
ギルバートはそんなバッシュを連れてプリンスエドワード島に戻ってくるのです。
母はすでに亡くなっていて、孤児になったギルバートはバッシュとの友情は何物にもかえがたく、キツイ石炭くべの仕事を乗り越えて、逞しくなって帰ってきました。
バッシュとの共同生活はアヴォンリーに嵐を巻き起こします。
コールは性的マイノリティ―で(カミングアウト)はしていないものの、クラスのいじめに遭っています。
心の拠り所は、アンと、物語クラブのメンバーとの隠れ家。
でも、その隠れ家を壊され絶望し、学校にも行けなくなります。
ダイアナの伯母、ジョセフィン宅のパーティーに同行し、ジョセフィンとの共通点を見出し(ジョセフィンもまた性的マイノリティ―だった!!)、そのまま残るのです。
コールはジョゼフィンとの暮らしの中で重圧から解放され、「ゲイ」としての誇りに満ちた動作を披露。
もうこの子(コリー・グルーター=アンドリュー)は天才!!と思いました。(シーズン3の10)
ギルバート役のルーカス・ジェイド・ズマン、コール役のコリー・グルーター=アンドリューも双方とも美少年で素敵。
二人とも役の「知性」を惜しむことなく表現して余りある力を持っています。
二人を手玉に取る(?)アンがうらやましい。(1800人のオーディションから選ばれたアン役のエイミーベス・マクナルティもスゴイ)
アンの行動は村の人々の価値観を揺るがし、信じていたものが確かなモノかを問われ、反発を受け、アンを傷つけます。
それでも、問われた常識を疑ってかかる人が徐々に増え、村人の「視点」を変えて行くのです。
天涯孤独で、辛い幼少期を送ってきたアンが、マリラとマシューと出会い、アンを愛するが故にマリラとマシューが変わって行く。
アンの強さは、自分の負や過ちと対峙することができる強さです。(猪突猛進で、後先見ずに行動してしまう欠点を持つ)
何より、人に共感する力と思いやる力、そして人を救うことに自分の力を惜しまない人。
「不思議な力」をもらえるドラマです。