今月11月25日は三島由紀夫が亡くなってから50年の日。
関連する書籍が次々と出版されています。
あの日、学校から帰った私が、いつも見るアニメ(何だったかは覚えていない)がやってないことにがっかりしつつも、一人の大人が「割腹自殺」をしたことへの衝撃とそのテレビ中継をランドセルをしょったまま見ていた記憶があります。
三島最後の作品『豊饒の海』(全4冊)をずっと後になって読んだ時、なんてすごい作家だったのだと、あの「割腹自殺」のイメージが払しょくされました。
極めて冷静な筆致、構成といい物語としての完成度とその精神世界に圧倒されました。
特に、最後の「天人五衰」の結末が異も言われず圧巻で、「割腹自殺」の片りんがどこにもない、と感じたのです。
作品を読むまでは、なんか「出たがりの自己顕示欲の強い人」(映画にも出演、主題歌も歌った)というイメージが先行して、あの自衛隊での事件も、いわゆるパフォーマンス的要素があったのでは、と勝手な想像をしていたのです。
本を読んでからは(なんとなくではありますが)「極めて冷静に日本に絶望した」のだ、と思った次第です。
何か「自分の頭脳」をこの日本に生かすところはない、というような・・・・
1925年生まれだった三島由紀夫は、徴兵制で旧帝国大学在学中(東大)に兵隊にとられるも、肺疾患ですぐに除隊。
戦後そのことが彼のコンプレックスになったと言われていて、その後、身体を鍛えて自衛隊に練習生として入隊したり、「盾の会」を設立したりと「右翼的」傾向を強めていったと。
本当のところは誰にもわからないのだけど・・・・・
昭和の象徴的な出来事となった「三島由紀夫自殺」
1970年3月には「よど号ハイジャック事件」、1972年にあの「赤間山荘事件」があって、左翼運動も収束していきました。
学生運動の終焉とその後のオイルショック、と私たちの世代に言われた「三無主義」(無気力・無関心・無責任)がやってきて、平和と言えば平和な時代に学生時代を送ったような気がします。
「あさま山荘事件」を境に、主義だの思想が「かっこ悪く」なっていきました。
主義を主張するのはダサかったり、重かったり。
子ども心に、あの「三島由紀夫」の演説と一連の出来事は、(こういったら何なんですが)「なんか滑稽感」があると感じました。
今思うと、私たち世代はテレビのアニメを見て、マンガを読んで、享楽的に生きることを許された「最初の」世代だったのだと思うのです。
親たち世代は戦争体験はあっても、直接戦争に行った世代よりもちょっと下で、「自分たちの子ども時代を自分の子どもにはさせたくない」という意識があって、そして親たちも背徳感もなく楽しめた。(あいつは死んだのに、自分を生き残った等の体験はないので)
結局、三島由紀夫世代の(と括ってしまう)「生きずらさ」はすでに当時理解されないところに来ていたのだと思うのです。
そして、彼は(三島本人の思いは別として)私たちに「謎」を残し、その「問」の難しさによって、後世に生き続ける道を選んだのかもしれません。