「昭和のアイドル」について考えてみた



今月11月19日は、旧姓山口百恵さんと三浦友和(彼はまだ芸能人なので呼び捨て)が結婚した日、1980年だったので今年で40年たちました。
三浦家では今年長男の結婚もあり、めでたいことが続いています。(親戚でもなんでもないけど)

あの百恵ちゃんの引退セレモニーは、今考えると「巧妙にしくまれたホリプロはじめレコード会社・製作会社・テレビ局の一大イベント」だったのですが、若かった私たちは(なぜか二人称)、マスコミにまんまと踊らされた。

学生時代、友人のアパートで「百恵ちゃんの引退コンサート」を観ながらもらい泣きをし、(百恵ちゃんが泣くことは珍しかった)百恵ちゃんが出るテレビをかなり(全部とは言えない)見たような気がします。
まだ録画というものがいきわたっていなかったために、結構大変だった・・・・気がします。

何といっても、あの白いドレスを着て白いマイクを置いて立ち去る姿は今でも鮮明に記憶にあります。
学生だった私たちは、「この絶頂期に引退なんてもったいない」「これからの生活が退屈じゃないか」と勝手に百恵さんの今後を心配してあれこれ話したものです。
男女雇用機会均等法が制定されるのが1985年、それでも「もう少し働けるのではないか」と思いました。

14・5歳でデビューして、その思春期から青年期、そして成熟期と視聴者が一体(事務所の思惑は置いておいて)となって、「アイドル」を応援する、というスタイルは昭和独特のもので、その際たる成功者が「山口百恵」だったと思います。

今のやたら人数が大勢いるアイドルグループは、束で売られ、次々と駒が替わるなかで楽しむ、という手法で、個人のアイドルとは一線を画しているし、「単体アイドル」そのものがもはや存在していない気がします。
このグループの中の「誰か」という「推し」で楽しむ、という「チョイス」を楽しむという形が定着したのです。

ジャニーズは、田原俊彦、近藤真彦(今不倫で大変)、野村義男の「たのきんトリオ」以降、全部がグループになっている。
そして、スタートからソロ売で成功している人はいない、と言い切れる。(グループから抜けて活躍している人は「キムタク」のみ)

「個」のアーチストは、歌が上手いとか、曲が作れるとか、耳が肥えた視聴者たちに応えられる人材、視聴者が本格志向になったと言えるでしょう。

人びとの趣味が多様化していることによって、「ソロ」のリスクは取れない時代なのかもしれません。
一つのフォーマットを作り、そのフォーマットに乗せて売る、という手法がAKBやらのアイドルグループを生み出したのでしょう。

百恵ちゃん以降、聖子ちゃんあたりのアイドルは、一人一人の宣伝戦略が立てられ、曲が作られ、ドラマ・映画の企画が立ち上がった。
それはある意味「昭和」のいい時代だったのかもしれません。

そしてやっぱり、森昌子さん(今は引退している)のように子どものために再び働かなければならなかった(と本人がインタビューで答えている)ということもない百恵ちゃんはある意味「長期戦略」でも成功した、と言えるのではないか、と思います。