「愛の不時着」~ジョンソクはキャリア支援男子だ~



「愛の不時着」のヒットの要因のひとつに前半の舞台を「北朝鮮」にしたことだと断言してもいい気がします。
誰が国交のない北と南の男女の「恋愛」をドラマにしようと思いつくだろう?

「体制批判」をしない、ということが前提でつくられたとか。
脱北者の方たちのアドバイスも織り込めているらしいです。

北と南、そんなに広大ではない半島を2分する38度線が恋をドラマティックにする。
家に着いたかどうかの連絡もできない、こんなにデバイスが発展していて、世界中どこでも連絡を取り合うことができる時代に、メールどころかハガキも届かないなんて。
しかも、(イントネーションは違えど)同じ言語を話す、同じ民族なのに。
そこに、激しく感情が揺さぶられる。

国境を越えたことが、こんなに大事件になることすら「非日常」です。
戦争が一時停止しているだけと考えれば、(越境という)その行為で「スパイ容疑」で銃殺されてもしかたがないのか?
平和ボケの日本に住んでいる私たちにはすべてがスリルに満ちている。
この世に存在する結ばれてはいけない唯一が「北朝鮮」と「韓国」だったなんて(しかも外見では区別がつかない)

ジョンヒョクとセリの変化も面白かったと思います。
セリの「小食」が北では、よく食べる人に変わり、与えられたものを受け入れるという変化が起こる。
ジョンヒョクの「無欲」がセリの存在によって自己犠牲を伴う「保護の欲」に目覚め、やっと「希望」をみる。
事故死した兄への弔いよりは、生きている人を守る、助けるという使命に燃えるのは、人間の摂理だったのでしょう。

セリはことあるたびにセレブ感を出しジョンヒョクと対峙します。
ジョンヒョクは、セレブもキャリアもお金も否定しない。

セリが究極の状況(この場合北での人々を見て)でセレブな自分を反省し、今あるものに感謝する図、ではなく、セリはセリのままで、「面白い」「美味しい」「珍しい」という感性そのままで北にいる。
変化は反省からではなく、「感覚」からだった、この根底にながれる「村の暮らしが遅れている」、「セレブは悪ではない」というコンセプトで北も南も否定しなかったドラマだと思うのです。

ジョンヒョクはセリの「感性」(自由度・ビジネスの意欲・にもかかわらず持っている孤独感等)に惹かれ、その「あるがままのセリ」を守ることが自分の使命と考えたのです。
セリが未来に向けて行動することを含めて、それを「成し遂げさせてあげたい」と思ったところにこのドラマを崇高なものにした要因があると思います。

ジョンヒョクは、究極の「恋人のキャリアを支援する男子」だったわけです。
そのキャリア支援には「匿う」「銃弾に撃たれる」「軍事境界線を越えて不法侵入をする」ということも含まれるのですが。

ジョンヒョクに惹かれた女子はこの「守る」という行為に「(セリの)キャリア」そして「(セリ)の財産」も含まれていたことに胸ときめかせたのです。
その「キャリア」を守る為には、職人並みの「家事支援」も含まれていることも、忘れてはいけません。