8月6日



下記URLの記事を書いた方の本です。

8月になるとこうした記事が目に付くようになるのですが、今更ながら戦時下の日本という国の「罪深さ」を感じるし、今の国も似ている、言い切るこの方の言いたいこともよくわかります。
しかし、衝撃的な記事です。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74565

なにをもってして「恐れるに足りない」と断言できるのだろう。
しかも、終戦が宣言された8月15日の前日14日の日付の新聞でさえも、「閃光の反対方向の物陰に非難すれば火傷せず」という見出しがある。
1945年という現在の医学・科学・物理学が進んだ時代よりも半世紀ほど過去であったにしても、これはひどい。

広島の現状が75年前戦争の情報規制があった中でも、「新型爆弾」が落とされたことは伝わっていて、「恐れるに足りず」という言葉を使えるその厚顔無恥さ。
現に1945年は東京大空襲をはじめ、B29の焼夷弾の被害を体験している人が数多くいて、爆弾が落とされれば、家屋・建物が火災にあい、その火力によって倒壊がおこり、なすすべもないことは「常識」として国中が知っていたはずです。

アメリカではいまだに「原爆」が太平洋戦争の終結を導いた、という教育がなされ、それを信じている人が多くいると聞きます。
「原爆」を使うべきではなかった、例えば「新型爆弾使用の警告」ができなかったのか、とも思うけれど、果たして日本はどのように「戦争終結」の道筋を作るつもりでいたのか。
「日本のいちばん長い日」半藤一利原作の映画を見たことがあるのですが、どうにも理解できなかったのは、広島に原子力爆弾、次に長崎と壊滅的な被害の後でも「本土決戦」「国体護持」にこだわる陸軍の一部の将校たち。
ここら辺の思考は、「二・二六」の青年将校と同じと感じました。

国民が何人死のうが「日本を守る」名分の前にはその数はどうでもよかった日本。
竹槍と防空壕でなんとかなると思っていた日本。
「アベノマスク」が生み出されるわけだ。
今や「イソジン」なのかもしれないけど。

歴史になってしまった「昭和天皇のご英断」っていうものですが、それがなければ、まだやる気だったのか?!という怒りがこみあげてくる、そんな短絡的な見方しかできない話(実話)でした。
そう、つまり「原爆」がなくって、どう終わらせることができたのか、という出発点に戻ってくる。

「軍隊(この場合は陸軍)」を恐れる官僚・政治家、特高が怖くて本音が言えない国民、それが原爆の後にも「まだ大丈夫」という新聞記事が掲載される日本を作ってしまった。

コロナ感染が広がる中、「Go to キャンペーン」というものを始めちゃったり、日本のコロナの死亡率の低さをアピールする記事が多く出回ったり、挙句には、「コロナは風邪の一種」という記事ありました。

結局、自分の身を自分で守る、というシンプルな答えに行きつきます。
政府批判をしても逮捕されないだけまし、とも思うしかないのでしょうか?(香港~!!)