「ペスト」が今読まれているらしいです。
育ってくる過程の中で、読むべき100冊!、高校生必読100選、とか夏休みの文庫フェア!、そんなラインナップに必ず入っていた気がする「ペスト」、学校の図書館にも、街の本屋さんにも必ずありました。
避けて通って、手にも取ったことがなかったその「ペスト」、この騒ぎの中で思わず読んでみました。
てっきり中世の医学も何もない時代の魔術がはびこる中での「黒死病」が流行る話なのかと思っていました。
時代は1940年代、人々の暮らしも近代的で、法の整備もあり、医学知識もある程度あり、そんな中での「ペスト」発生の話でした。
ひたひたと迫りくる病魔の大軍、すぐには立ち上がらない行政(ここら辺は目の当たりにしたかのような場面)、市外に出ることが出来なくなった旅行者。
封鎖の様子は「不要不急の外出を避ける」という現代の手法と変わらないことを教えてくれます。
そして、死体を運び、死者を手厚く見送ることもできずに、機械的にひっそりと埋めてゆく様子はついこの前のTVで観た場面と変わらなかった。
希望が絶望に変わってゆく中、封鎖を突破しようとしていた若い男性が、このまま残り手助けをしたい、と願いでます。
子どもの死、「神の怒り」と説教していた神父の死、なぜか死の淵から蘇る老人、医療の手伝いをしていた青年の「ペスト」が収まってからの死・・・
全て「ペスト」の前には平等だというカミュの冷徹なまなざしと(人への)希望を感じました。
「ペスト」流行の間は逮捕されなかった犯罪者が、「ペスト」収束へ向かっていら立ってゆく様子。
「ペスト」という排除すべき病理すら、各人の置かれている立場によって違ってくる、という真理。
ペスト流行の兆しが見えた冒頭、主人公の医者、リウは知事が招集した会議で「このままでは病人が蔓延する。隔離しなければならない」と発言します。
何度も「本当にペストなのか」と尋ねる知事。
リウは「そうだと思う。だが、断言はまだできない。ただ、病人の隔離と住民への周知は早くしなければならない」と。
でも「市民に恐怖を与えたくない」「ペストときまったわけではない」と先延ばしをする知事。
この一連の流れが、今回のコロナの「パンデミック宣言」と被ります。
「まだパンデミックと呼びべきではない」という安倍さんの発言。
もう少し早く「宣言」をしていたら、もっと早く中国からの旅行者を入国させなければ、というIFが不可能なのは、カミュの「ペスト」も我々も同じです。