やっぱり「青天を衝け」に期待


上記サイト、これからの「青天を衝け」のネタバレ的な記事かもしれないのだけど、面白かったので紹介します。

「大河ドラマ」になるくらいだから渋澤栄一、かなりユニークな人であることがわかりました。

「尊王攘夷」で高崎城襲撃、横浜異人街焼き討ち計画からの体制側である一橋家への奉公という、転換。

それにしても、日本の「資本主義の父」と言われる渋沢栄一が城の焼き討ちを計画していたとは驚きです。

そして、その計画を中止するよう説得した「尾高長七郎」(役は満島真之介)は偉かった。

その説得に応じた渋沢栄一もある意味、というか絶対「賢かった」

そして堤真一扮する平岡円四郎という一橋家御用人との関係をつてに一橋家に奉公する。

なんと栄一は実家で培った商才を発揮、一橋家の財政を立て直す快挙を成し遂げる。

そして、慶喜の弟昭武とフランス万博へ。

そこで、栄一は「近代国家」への仕組みを見て、「攘夷」ではなく国のためには「経済」であることを知る、というわけです。

一緒にフランスに行った日本人が誰もが飲まない「コーヒー」を飲み、誰も踊らないダンスを踊る、髷も切り落とす。

何より、スエズ運河の開削工事を見て、大陸を結ぶという、自国のみの利益に固執せず、世界的視野に立っている「大きさ」に感銘するのです。

もともと好奇心が勝る、柔軟な人だったのだと思います。

主義主張ではなく、良いものを吸収し、広める。

たしかに栄一の「攘夷」はなんだったんだろう?という疑問は残ります。

この記事の加来耕三さんは、慶喜に攘夷を説得するつもりだったのでは?と一橋家に入った理由を考察しているけど。

私は若さゆえの視野狭窄という単純な話じゃないかと思うのです。

栄一の頭の良さは幼少の頃から発揮されてはいたものの、如何せん、半径数キロでの勉学と藍玉つくり、見聞を広めようにも限度があった。

江戸には行ったものの、付き合いは「攘夷仲間」、その「攘夷論議」も狭い仲間内だったと思うのです。

先に江戸で修業していた長七郎は、いろんな組織とのつながりがあり、もっと大人数で行った「攘夷」が失敗したのを目撃していた。

栄一が同じころ江戸に来ていてれば、長七郎と同じことをしたはずです。

「経験値」が足りなかった、ということなんじゃないか。

「運」も力のうちだったわけで、栄一が持っていた「運」はその後の長七郎との運命を大きく分けるのです。

これからのドラマを楽しみにしようと、この記事を読んで思いました。