吉本会見の明暗


一連の「闇営業」?に揺れる宮迫・ロンブ亮の会見と吉本興業の社長会見の明暗がくっきりと別れました。
この二つの会見の明暗は「保身であるかどうか」の違い。
宮迫・ロンブ亮の二人は「隠すことはなにもない。本当のことを話す」、その決意の固さが会見に表れたことにつきました。
「会見がなぜここまで遅れたか」が全ての人に伝わったことがこの会見を「成功」させたのです。

片や、吉本興業の岡本社長は、まず「社長の座」を手放したくない、この一点において未練がにじみ出てしまった。
おそらく、誰が見ても「恫喝」の事実をごまかしている、その点だけでも納得のいく会見ではなかったと思いました。

「二人がいつの日が戻ってくれるなら、マネジメントを全力でやらせてもらう」という発言も、ダメダメだと思います。
「いつの日か」ではなく、「すぐにでも」という言葉を使わなければ、全くの人ごとでしか届かない。
「俺には(お前たちをやめさせる)力がある」と言った発言を否定したのもアウト。

せめて「記憶はないけれど、申し訳ない」、正解は「自分の過信が招いた発言」「社長として言ってはいけない言葉」とひたすら反省の意を伝えること。
下の立場の者が~こう言われた、という発言をしたら、上の立場の者は「否定」してはいけないのです。
「テープまわしてへんやろな」いう発言が冗談だった、という着地点もあり得ません。
上の立場の発言として、この言葉が「パワハラ」である、ということを知らないのを暴露したことがアウトなのです。

「二人のあの悲壮な会見」についての反省を述べることを徹底的にやるべきだった。
泣いたのもアウトです。
宮迫と亮が泣くのはOK、なぜなら彼らは全くのフリーとしての立場だから。
社員でもない、ましてや吉本の芸人でもない立場だった。

岡本社長は、少なくとも公的な「吉本」というブランドの頂点にいる「公人」だった。
正解は、ひたすら反省しつつの毅然とした態度、つまりは、一番難しい立場にいる人なのです。(当たり前)
彼がしなければならなかったのは、謝罪⇒具体的な反省の弁⇒未来への公約、という形でした。

岡本社長は、自分の保身への反省がなかったのです。

織田信長が明智光秀にやられた構図がこれだ!(なんの根拠もない)
「本能寺の変」は諸説あり、いまだになぞ多き歴史的事変ではあるけれど、いろいろあってあったまにきた光秀がボスを刺しちゃった、という図が一番理解しやすい。
(こんな感じで「国盗り物語」司馬遼太郎のストーリーは分かり易い。個人の感想です)

社員が社長を刺した図になると思うのは私だけでしょうか(?)
おそらく、早晩岡本社長は辞めざるを得ないでしょう。
力があった人らしいけれど、トップになる人ではなかったのだと思います。
「権力」に酔ってしまった人の典型的な末路です。

実るほど頭を垂れる稲穂かな、と彼にはこの言葉を贈ってあげたい。(遅いけど)