ジャニー喜多川、死す。


ジャニー喜多川さんが亡くなりました。
確かに偉大な人だったのだと思います。
あとからいろいろなことが出てくるだろうけど(マイケル・ジャクソンのように)今はジャニーさんの残した足跡をメディアが放送しまくっています。

確かに「ジャニーズ王国」を作り上げたその力、何より小さな男の子をスターに育て上げ、芸能界に燦然と輝くスターを何人も輩出させた実績は相当なものだと思います。
「観察眼」「審美眼」「見通す力」真のプロデューサーであったのでしょう。

オーディションの様々なエピソード(ネット記事を含む)はなかなか面白い。
ジャニーさんは、ジュニアの育成にかけては、全く一人で執り行っていたらしいです。
誰をオーディションに呼ぶか、どんなオーディションにするか、そして誰を選ぶかまで。
履歴書だけで「ユー、来ちゃいなよ」と言われて、なんとなくジュニアに入った人もいれば、オーディションで正式に選ばれた人もいて、その合格通知も1年後だったりと、きちんとしたシステムはなかったようです。

何人も呼んでおいて、椅子を並べたりジュースを配ったりしているおじさんが会場に一人だけ。
ある程度時間がたつと、そのおじさんがおもむろに「私がジャニー喜多川です」と話し始めると、姿勢を正す子、急に緊張しだす子、ほとんどが「えっ!?」と驚く中で、全く態度を変えない、超リラックスしていた男の子がいた。
TOKIOの松岡昌宏、だったそうです。

子どもが人によって態度を変えたり、つくろったりするのは嫌いとジャニーさんは言っていたそうです。
思うのは、厳しいエンターテイメントの世界で生きていけそうな子、伸びる力を秘めた子、磨けば光る子、そんなことを見て取っていたのだと思います。

そんな類まれなる「見る力」を持っていたジャニーさん、彼の「功罪(の罪の方)」はさておき、もう少し、彼の秘めたる「どうやって見極めるか」等のエピソードを聞きたかった(本でもいいけど)と思いました。

皮肉な見方だけど、メディアが取り上げるのは、成功した事例(スター)のみなわけで、この成功したスターたちの陰にものすごい数のドロップアウトの人たちがいるのだと思うのです。
その見極めの「冷徹さ」を大手メディアは暴かない。

ドロップアウト組ではないけれど、郷ひろみの契約切れからの事務所退所からの低迷期、その後の「たのきんトリオ」がジャニーズ事務所を救った、という記事がありました。
郷ひろみ退所後のジャニーさんの落ち込みようはすごかった、と。(体調も悪かったらしい)
でも、私の記憶が確かならば、郷ひろみの切なる願いの「アメリカ留学」がかなえられず、ジャニーズ事務所を辞めるしかなかった、ということがあったはず。

そして、郷ひろみの留学後から芸能界復帰も順調ではなく、ジャニーズ事務所からのテレビ局への「圧力」的なものがあった、と記憶しています。

いえいえ、何かを成し遂げた人には必ず裏の顔があるっていうことです。
そして、ジャニー喜多川が写真を嫌い、自分の姿が表に出ることを極端に嫌っていた、ということは誰もが知るところですが、プロデューサーは影でいい、というポリシーだけではない何かがあると思います。

戦前生まれで、しかも朝鮮戦争にも赴いたことのある彼が、自分の秘めたる「性」のこと、それに対する「うしろめたさ」があったように思うのです。

もちろん、カミングアウトは個人の問題ですが、きっとその葛藤は大きいものだったような気がします。
彼が死んで、その後ろにあった「闇」が少しづつ暴かれてゆくのでしょう。(おそらく、姉のメリー喜多川の亡き後)

それにしても、ジャニーズ王国がこれからどうなるのか。
男子タレントの育成に真っ向から勝負をかけるプロダクションが出てくるのでは、と確信しています。