樹木希林ブームを考えてみた 


冬の写真を載せたままもうすでに5月も半ばになろうとしています。

ついつい樹木希林関係の話を書いてしまうのですが、当の本人は、このブームを天から苦笑いしながら見ていることでしょう。
樹木希林自分は、そんなつもりはなかったに違いないと思います。

なんでこんなにブームかなと考えたのですが、こんな人はどこにもいない、ってことに尽きるのだと思います。
人を引き付ける魅力を持ち、言いたいことを言い、そして「自分の生きたいように生きた」(と見える)ことではないでしょうか。

「セルフマネジメント」の達人だったと思います。
「芸能界」「芸能人」はもちろん、組織に所属すると人事は人事、総務は総務、というように人は「任せる」ことで生きている部分があると思うのです。
徹底的に自分のことは自分でした人、だそうです。
希代の演技者は、その才能を「色物」で発揮、誰からも認められる「脇」の役者から、晩年には人生の重みを感じさせるを役を演じ、病を通じてその生き様を印象付け、人生の幕引きも鮮やかでした。

一部週刊誌によると、都内に不動産を8件持ち、そのすべての権利をそれぞれに(本木雅弘はじめ娘也哉子とその子どもたちに)譲る書類を書き、キレイにスムーズにしかも無駄のないように(税金が一番少なくすむ方法をとり)譲渡された、ということです。

女優がCMに出るなんて、と揶揄されたテレビ時代のはじめにこんなに効率よく稼げる仕事はない、と気付き、あの「寺内貫太郎」の老婆役は、「時間ですよ」で疲れてしまって、座って言いたいことを言って人を慌てさせる役が楽そう、と思って引き受けたのだとか。

とはいうものの、久世光彦は、樹木希林が老婆の役をやるために、これは!という老婆を道すがら見つけ、とうとうそのおばあさんが暮らす施設までついてゆき、なんとその施設の中まで入ってお年寄りとの交流までして、老人パワーをもらったと、書いていました。

その細部にわたる探求心こそこの樹木希林の根幹だったのではないか、と思いました。
不動産の購入も、「住宅情報誌」が大好きで、何時間でも飽くことなく読んでいられたとか。
「経済的基盤」が選択肢を増やす、つまりお金があれば「仕事を選べる」、プロデューサーに気に入られなくっても、生きて行けるっていうことに早くから気付いていた人でもあります。

オファーは途切れなくあり、その「仕事」は間違いなく、監督&プロデューサーの目にも叶うものであり続けたのだけれど。

そして思うのは、破天荒でいて、堅実な人だったということです。
自分では「家庭」を築いてはいなかったけれど、娘にその願望を託し、「モックン」を養子にし、孫を3人も持ち、「不動産」にこだわった。

也哉子さんの喪主のあいさつで、モックンが樹木希林と内田裕也の関係を面白がり、樹木希林にダメ出しをし、内田裕也を勇気をもって「殴った」ということが明かされました。いや~、なかなかできることではないです。

こうなったら、モックンに「婿(実際には養子)から見た樹木希林と内田裕也~誰も知らなかった真実~」という本でも書いてもらいたい。
ベストセラーになること間違いない、と思います。