ショーケンを悼む


春がやってきました。
花粉症の人は今が一番つらいのでしょうけど、いい季節です。

ショーケンこと萩原健一さんが亡くなりました。68歳という今ではかなり「早く逝ってしまった」という感覚を持つ年齢でした。
一番の記憶はなんといっても「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事と「俺たちは天使だ」のチンピラ?の役。

「太陽にほえろ!」は、確か1年くらいで死んでしまう新人刑事役でしたが、「俺たちは~」は正しくショーケンのためのドラマでした。
今思うとスゴイドラマだったとは思うのですが、さほどショーケン好きでない私は、ほとんど観たことがなかったように思います。
(ある程度の歳になっていて、自分の好みがはっきりとしてきた頃だったと思うのですが、まず「アウトロー」が嫌いだった。好きだったのは、「大岡越前」の加藤剛と言えば、正反対のタイプ)

でも、何というか、亡くなってしまうと、あの尖った頃のあぶらが一番載っている頃のショーケンのドラマをリアルタイムで見るべきだったのか?というちょっとした後悔が胸をよぎります。
「大スター」と言われる人が亡くなると、誰もがそんな気持ちになるのではないでしょうか。
ああ、あの魅力になぜあの時自分は気付かなかったのか、という自分の「感覚の鈍さ」にあきれる思い、というものだと思います。

「太陽に~」で共演したゴリさん役の竜雷太が

「不思議な想定外の魅力を持った規格外の“スター”でした」

と言って故人を偲んでいます。

いわゆる、破天荒な人でした。
女性スキャンダル、薬物、暴力、交通事故、そしてギャラを巡る裁判(詳しくはない)、と。
70年代の何でも許されたいい時代からの(ちょっと語弊はありますが)、少しずつ変わっていった世間の「規範・規則・常識」

「芸能界」という世界が人の常識から少し外れていても、「まあそんなところだから」と大目に見られていた時代からの変化。
テレビに出る人だからって、許されないことは許されない、という時代へと変わってゆきました。

テレビ・ラジオ、雑誌・週刊誌、カメラが追っかけ、スキャンダルがすぐに広まる。
手の届かない人、という芸能人に対しての意識がテレビの登場で身近になり、イメージが重要になっていった「芸能界」という世界。
スポンサーあっての「TVドラマ」、視聴者あっての「TV番組」、あっという間に番組を降ろされ、CMがなくなり、「スキャンダル」が「命取り」になっていきました。

その時代の変化に敏感に反応した人が多数だった中での、真のアウトローだった「ショーケン」
「規格外」故に、世間が押し返した波に飲まれたところがあったのかもしれない、と思いました。

私たち視聴者は「規格外の大スター」を望んでいるのだけれど、それにも増して「スキャンダル許すまじ。暴言失言拡散するぞ」というSNSの台頭が頭をもたげ、そんな「ものすごい才能」を潰しているのかもしれない、とちょっと思ってしまいました。