「リッチマン、プアウーマン」~日本的魅力が満載~


最近(でもないけど)の日本のドラマで記憶が残ったのが、2012年の夏、7月~9月に放送されたフジ月9「リッチマン、プアウーマン」です。
かなりクオリティの高いドラマだったと思います。
平均視聴率が12.4%という数字以上の内容だったと確信しています。

小栗旬のヒーローにメロメロになったわけではないのですが(とはいえ、カッコいい)、韓ドラ的要素からの日本的着地の面白さ(?)を感じました。
日向徹(小栗旬)のIT企業の社長と井浦新扮する副社長朝比奈恒介の利権争いやら、戸籍をパソコンで管理するパーソナルファイルを巡る社員の奮闘、そしてヒーローの社長解任という急転直下、ゼロ(マイナス?)再スタートというドラマティックさ。

同時に「母」を探すという古典的な要素、恋愛要素もコメディタッチで重くなく、「笑い」のシーンを結構取り入れ、凝っていました。

韓ドラとの違いを探しながら視聴するという結構うがった見方もできたのも面白かった。

①ヒーロー日向徹(小栗旬)自分を捨てた母を探したいと思っているが、「執着」はしていない。
②ヒロイン夏井真琴(石原さとみ)は日向徹の母を知っているが、結局うやむやにしている。
③第二の男朝比奈(井浦新)は、ヒロイン真琴を好きなようでいて、結局うやむやになる。
④第二の女朝比奈燿子(相武紗季)はヒロイン真琴にちょっと意地悪をするが、日向徹の気持ちを察すると身を引いてしまう。

つまり、割と気持ちがうやむやで始終し、母との劇的再会もありません。(母のお店に行きごはんを食べるけど)
そして、極めつけは自分を陥れた朝比奈を簡単に許し、しかも彼の居場所をつくるという決意で元の会社に復帰する人の好さを見せます。

そうです、「恨(ハン)」ではなく、日本的な「許し」がこのドラマを支えています。
「澤木千尋」という母の名前を語った真琴を許し、再び会社に受け入れたこと。
自分を捨てた母に対しての想いはあるけれど、恨みのない感情。

朝比奈恒介は、日本という国を表徴する存在でもありました。
能力・常識・実力がある、でも足りないものが「発想」と「突っ走る・突っ切る力」
日向徹の存在が朝比奈に「痛み」を伴うようになってゆく、それを排除・無視しようとしている彼が「日本そのもの」だ、とも思いました。

また一瞬にして財産を失い、無一文になった日向徹の一連の「諦観」した態度、それもひどく「日本的」だった。
スーツケースとなぜか掃除ロボットを手に持って、真琴のアパートの前に立ち「いくところがない。入れてくれ」(記憶はあいまい)と言う。
結局古くからの知り合いの住職に世話になるのですが、ゼロの自分を受け入れるその淡々とした「諦念」を「寺」と蝉の声を使って象徴させていました。

この寺は冒頭のシーンでも使わわれ、時代の最先端を行っている日向がタブレットを使い、寺で母「澤木千尋」のデータを探す、新・旧の組み合わせが印象的でした。

朝比奈を許した日向徹、それがこのドラマの軸だったんだと思います。
その日向徹を変えた人としてヒロイン夏井真琴の「愚直なまでの勤勉さ」がありました。
そう、彼女は表の朝比奈恒介、時代に流されない「日本の強さ」の象徴でした。

「東大・努力」と「高校中退・天才」「トレンド」と「トラディショナル」どちらもその価値があり、どちらも受け入れる社会が求められているのです。

そして、競争の激しい世界、日々突然変わる環境、でも大切なものはやっぱり「人と人」という不動の結論だったわけです。