先週の律君は、なんと鈴愛にスープまで作ってあげていました。
慰めてくれなくても「スープ」を作ってくれる人、いいわあ。それにしても、なかなか変わった食材の組み合わせでした。
でも簡単そうだし、このスープを今週作る人が大勢いることでしょう。
正人君が言った「でも二人(鈴愛と律)は絶対に離れられない」という予言。
それは今後このドラマの根幹部分での見どころになるのでしょう。
二人の関係がどうなっていくのか、「ドラえもんが静香ちゃんになるのか」、こうご期待です。
正人君は人となかなかうまくかかわれなくて表面的な付き合いを重ねてしまう。女の子とはそんなこんなで何人も付き合い、「まわりまわってフリー」になる。
律がやっとできた「友だち」で、そんな律が思う大事な人をちょっと付き合ってバイバイするわけにはいかない、と思ったのは少し納得がいくような気はします。
そんな正人君には、去年の大河ドラマ「おんな城主直虎」で歌舞伎俳優の尾上松也が演じてた『今川氏真』の素直な生きざまを参考にしてほしい。
乱世に生きながら、自分の「欲しいもの」「方向」を明確に持った人だった。
当主としての「誇り」より、やりたいことを選択していったら、「家」はどうでもよかった、という結果になったのです。
なかなかに 世にも人をも恨むまじ 時にあはぬを 身の科(とが)にして
この句は、”なまじっか世の中にも人にも恨まないぞ。時代に合わなかった自分が悪いのだから”だいたいそんな意味だと思うのですが、和歌・連歌や蹴鞠が大好きだった文化人としての「氏真」は、戦国の世の「オタク」だったのでしょう。
親の仇である信長の前でも「蹴鞠」の披露をしたとか。
そんな時代を超越した人なので、今川家の人質だった家康を頼るくらいのことは朝飯前だったことでしょう。
「暗君」と揶揄する描かれ方をされる人物ですが、かなりの世渡り上手とみました。
父である今川義元が「桶狭間」で亡くなり、その後は北条家に頼り、その後秀吉、そして徳川家康にはりつき生計を確保、当時ではかなりの長生き、77歳まで生きたのです。
<及聞秘録>には家康を頼り江戸城に来る氏真の長話を疎ましく思った家康が氏真に江戸から離れた品川に屋敷を与えたという逸話もあるようです。(Wikipediaより)
伊東潤さんの「国を蹴った男」は、毬職人の「五助」が真剣に毬を蹴る氏真に惚れこみ、自分の命をもささげる、という話なのですが、とても面白い。
早く生まれ過ぎた、ということを自分で悟る賢さをもっていた、というかなりの「自虐」に満ちた句がそれを証明しています。
この時代「生き残る」ことに「命を懸ける選択」をすること自体斬新です。
ましてや、名門今川家の跡取りだったのだから、プライドを持ってどこかで討ち死にすることはたやすかったはずです。
もしかしたら、本人の「生き残る」意志というよりも、鞠を蹴ったり、歌をつくったりしていたら、「あら長生きしちゃった」という感じなのかも知れません。
いつの時代も、何かに打ち込める、そのことで全てを忘れられる人、そんなメンタルを持った人が一番強い、という手本だったのでしょう。
「生き方」を考えるより「自分が何を好きか」という視点で生きてゆくのが一番幸せなのだと思います。