粟屋憲太郎著「東京裁判への道」


今年も終戦記念日という日がやってきました。
「東京裁判への道」粟屋憲太郎著、を読んでA級戦犯を裁くプロセスが少しわかった気がしました。
なんと言っても面白いのは、天皇の側近で内大臣だった木戸幸一の尋問記録。
木戸の取り調べは回数が多く、「昭和天皇平和論者」「パールハーバー奇襲攻撃を知らなかった説」等、「天皇」がどう利用され、戦争に関わったかを徹底的に追及されていて、調書を読むだけで、昭和天皇の矛盾点が浮かび上がります。

マッカーサーがトルーマン大統領に既に「昭和天皇無罪」を伝えているにも関わらず、何故ここまで追求しているのかは、謎だったのだけど、反対に考えれば、尋問する側の個々に委ねられた自由度があった、ということなのだと思いました。
誰が考えても「終戦の大英断」は、「開戦の回避」(なぜ終戦が出来て開戦の回避が出来なかったのかという疑問)、という「諸刃の剣」だったのです。

「満州事変」で軍の行動をどう思っていたのか、どう介入したかを追求され、「天皇が中国侵攻に反対であって防止するために軍に意見を述べた」、という言質をとられ、「介入したのですね」という問いに、「そうです」と答えざるを得なくなります。

天皇の直接的な「働きかけ」があり、それはやはり「戦争」に対して「積極的行動」がとれた立場を露形したことになるのです。

木戸幸一が可哀想だったのは、昭和天皇との一心同体だったこと。彼の責任は天皇の責任になってしまうこと。
それを踏まえて、徹底的に「自己弁護」に勤め、それは誰かに(主に軍部に)罪がある、という弁論に始終したわけです。
法廷から巣鴨プリズンに戻る護送車の中で、元軍人たちから罵倒され(そこまでの「詭弁」を弄するかってことです)、顔を新聞で隠して俯いた、とか。

「東京裁判」はその煩雑な事務作業と言葉の問題で、膨大な時間がかかり、どんどん「戦犯指名」の人たちが減り、釈放されてゆくプロセスもある意味「東京裁判」の不完全さを読み取ることもできます。

「731部隊」の禁止化学兵器の使用、捕虜の虐待等は不問になり、著者は、アメリカとの取引があり、その上、「原子爆弾」を使用したアメリカにも類が及ぶことを避けたかったのでは、と推測しています。

いずれにしても、A級戦犯とは、「平和に対する罪」で、現地の直接的な「罪」で裁かれた「B・C級裁判」とは違い、どこか観念的で、国やら個人の「思惑」があるように思います。
そして、裁かれる側にある「他者への視点のなさ」を感じました。

ただ、その中でも「真実を追求したい」という大勢の「努力」があったことは間違いないと思うのです。

当事者たちが何を語ったか、その「真実」を今、まさに知らなければならないのではないか、と思います。