全貌 二・二六事件 ~最高機密文書で迫る~を視聴しました。
今までないとされていた文書が海軍にあり、しかも詳細な記録だった、ましてや事件の1週間前に首謀者の名前までわかっていた。
「そこにあったのは都合の悪いことを隠し組織を守ろうとした姿だった」
そして、
「いかに事実を知ることが難しいか」
これらのフレーズと国会議事堂の映像が心に残りました。
いろんなことが頭をよぎります。(森・加計とか「桜」とか)
蹶起時、青年将校たちはトップ(陸軍首脳)の信任を得て行動をしたと思い、しかしそのトップ軍人たちは、天皇が青年将校らを反乱軍と断定すると態度を豹変「自分は知らなかった」とシラを切り、逃げる。
それは、線を引いたところに兵士を送り、全滅するとまた次の部隊を送る、エリートと言われる参謀がなんらの感情も責任感も持たずに進めた「太平洋戦争」へとつながるような気がします。
もっと言えば、「後から行く」と言って特攻に送り出した上層部の者どもと全く同じです。
加えて今、政治家が自分の保身のために公文書をシュレッダーにかけ、それは「個人保護法」だからとうそぶく姿とも被ります。
日本って何にも変わっていない、と思いました。
いえ、旧海軍はそれでも文書を保存していたからその点ではまし、なのかも知れません。
疑問に思うのは、「(皇道派)青年将校たち」が考えた「天皇主導の政治」が何故「君側の奸を殺める」ということなのか。
日本の中枢を担っている人の命を奪ってまでする「政治」とはなんなんだろう。
「明治維新」ならぬ「昭和維新」をおこそうとしていたとか。
その理論を信じ込む軍人を多少でも作り上げた「日本軍」の体制に疑問がわきます。(後だしじゃんけんなのはわかっているけど)
Wikipediaを読むと蹶起した将校たちには部下に東北地方出身が多く、彼らの極貧の実家の話に心痛めていたとか。
それは政治たち・特権階級が人々を搾取し、日本経済が不況になり、「天皇」はその者たちにいいように使われているからだ、と考えたらしい。
特権階級を惨殺した人たちが「天皇」を担いで世を改革する、その単純な理論を信じ込まされた背景に、その時代の危うさがあったのでしょう。
「教育」の浅さと「思考停止」の状態。
結局、陸軍首脳部は彼ら(蹶起した青年将校たち)の「うぶで単純なこころ」を利用したのです。
利用して、組織に揺さぶりをかけて、成功すれば自分たちが軍隊(陸軍)を掌握できると考えたのです。
蹶起した将校たちは日本を憂いていて、首脳部は「(自分たちの)組織」だけを考えていた。
そして、結局首脳部が糾弾されなかったのは、同じような「組織重視」の者たちが裁いたから。
そして、また(統制派)という組織が陸軍を掌握し、政治家たちに圧力をかけてゆく下地が作られたのです。(ほくそ笑んだに違いない)
なんだか海軍の書類隠蔽といい、どいつもこいつもだ、という結論です。(個人の感想です)
「真実」は簡単に隠蔽される、このことは「真実」です。