今ここにある危機とぼくの好感度



今月29日に最終回を迎えた「今ここにある危機とぼくの好感度」というNHK土曜ドラマが良く出来ていたと思います。

今の日本の政治をソフトに揶揄するブラックなストーリーを芸達者なおっさんたちによるユーモアでコーティングし、「日本」という国ではない、大学当局と「市」という小さなエリアでコンパクトにまとめ、今ある事態をうま~く、ちょっと外す見事な手法で、「政治」とか「隠蔽」とか「組織」に切り込んだドラマでした。

情けない役をやり切った松坂桃李君、よかった。

そして、声だけでブラックユーモアを醸し出すナレーションの伊武雅刀、最初は頼りない総長だった松重豊が「正義」を体現する砦となる見事な変身を遂げる姿、この二人の「力」もすごかった。

神崎真(松坂桃李)はともかく、ひたすら意味のないことをしゃべる、という技を買われて、大学の広報室職員になる。

最初の仕事はかつての恋人鈴木杏演じるみのりの「研究室の内部告発」をもみ消すこと。
そこで突きつけられた、「不正」を明らかにするという「正しいこと」をすることに立ちふさがるおっさんたちの「思惑」

「そんなくそダサい交換条件、私は飲みません」「ほんと権力持ってる人たちって、見下してる人間に対して想像力ないよね」「見下すのは勝手だけど、見くびるのはやめたほうがいいよ」

かつての「恋人」(とっても交際していた記憶もないくらいの期間でもあり、神崎真がいい加減でもあった)の論理に押し黙る神崎真。

彼は今まで、「しろ」と言われたことしかしなかったし、何一つ自分の言葉で語ったこともなければ、自分の「好感度」を上げること(下げないこと)が重要だったのだ。

伊武雅刀のナレーション「複雑なことが嫌いな彼は、世の中に単純であってほしかった」

最初ののデータ改ざんは「森かけ問題」、次のイベントは「あいちトリエンナーレ」、最後のシンポジウムは「東京オリンピック」ということだろうと思います。

自分たちの不利になることを言い換える、忖度して改ざんする、事実を小さく報告してごまかす。

そして

「誰かの失敗を叩くほど隠蔽は増え、厳しく罰しさえすれば状況が改善するわけでは決してなく、問題はそう単純なものではない」

という言葉が突き刺さる。

理事の小さなオッサンたち(皆上手かった)は、サハライエカ騒動で退任した。
三芳総長(松重豊)は残り、一番権威主義者だった(国と財界のパイプを持っている)須田理事(國村隼)に対して、総長が慰留する。

ここがなかなか深いところで、ただ組織に忖度していたオッサンたちは去ったけど、権威主義ではあるけど、自分の信念を持っていた須田理事を残した。
サハライエカ騒動の後始末には「力のある人」が必要であることを総長はわかっていたのです。

理想論だけでなく、リアルパワーを知っていた人でもあったってことでしょう。

三芳総長のことば、(ここの大学では)「真実は誰も教えてくれない。自分で探さなければ「真実」はわからない」この言葉を胸に刻みたい。